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日本製鉄室蘭シャークス(にっぽんせいてつむろらんシャークス)は、北海道室蘭市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟している社会人野球の企業チームである。 1994年に前身である新日本製鐵室蘭硬式野球部が休部し、1995年に市民チームとして誕生する(登録上は、新日本製鐵室蘭とは別チーム)。
チーム名(通称) | 日本製鉄室蘭シャークス、室蘭シャークス、日鉄室蘭シャークス |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 |
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創部 | 1995年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 | |
練習グラウンド | 日本製鉄室蘭球場 |
監督 | 比嘉泰裕 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 4回 |
最近の出場 | 2019年 |
最高成績 | 初戦敗退 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 3回 |
最近の出場 | 2019年 |
最高成績 | 2回戦敗退 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
チーム名(通称) | 新日本製鐵室蘭、新日鐵室蘭 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1939年 |
廃部 | 1994年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 | |
練習グラウンド | 新日鐵室蘭球場 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 18回 |
最近の出場 | 1986年 |
最高成績 | 準優勝 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 11回 |
最近の出場 | 1992年 |
最高成績 | 4強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
1939年、日本製鐵の輪西製鐵所で『日本製鐵輪西硬式野球部』として創部。
1950年、日本製鐵の財閥解体に伴い、輪西製鐵所は富士製鐵が継承したため、チーム名を『富士製鐵輪西硬式野球部』に改称した。
1951年、輪西製鐵所が室蘭製鐵所と改称したため、チーム名を『富士製鐵室蘭硬式野球部』に改称した。
1956年の都市対抗野球で初出場し、1963年の都市対抗野球では準優勝となった。
1970年、富士製鐵と八幡製鐵が合併し新日本製鐵が発足したため、チーム名を『新日本製鐵室蘭硬式野球部』に改称した。
1994年、鉄鋼不況の影響から新日本製鐵がスポーツ支援体制の見直しを図り、同年シーズン限りで堺野球部、光野球部とともに当チームは休部することが決定した。そこで、当時キャプテンだった加藤徹をはじめとした有志たちがクラブチームの『室蘭シャークス』を立ち上げ、1995年から活動を開始した。初代監督には加藤が兼任で就任した。
クラブチームとなってからは、1996年に日本選手権に、2001年に都市対抗野球にそれぞれ初出場している。
2012年10月、新日本製鐵と住友金属工業が合併し新日鐵住金が発足した。これに伴い、新日本製鐵を源流とするクラブチームや広域複合企業チームの多くが冠スポンサーとして「新日鐵住金」の名称を使うようになった[注 1]。当チームも同社の公式サイトには少なくとも2013年6月までは『新日鐵住金室蘭シャークス』として掲載されていたが[1]、その間に日本野球連盟に対してチーム名称変更の届出は出されておらず、2013年10月までにサイト内の表記も『室蘭シャークス』に差し戻されたため[2]、チーム名の改称は行われなかった[注 2]。
2018年3月、日本野球連盟北海道地区連盟の評議員会でクラブチームから企業チームへの登録変更が発表され[3]、その後日本野球連盟から正式に発表された[4]。
2019年4月、母体である新日鐵住金が商号変更し日本製鉄が発足。これに伴い、チーム名を『日本製鉄室蘭シャークス』に改称した[5]。
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