新知島(しむしるとう、しんしるとう)は千島列島の中部にある火山島。ロシア名はシムシル島(о.Симушир)、英語表記はSimushir。
島の名前の由来は、アイヌ語の「シ・モシリ(大きい・島→大きい島)」から。
長さは 59 キロメートルで、幅はおよそ 13 キロメートルほど。面積は 227.6 平方キロメートル。細長い島は個性的な火山の列で構成されている。北東部には 7.5 キロメートルの幅の半分海没したカルデラ湖である武魯頓湾(ぶろとんわん、Brouton Bay。1796年頃来訪した、イギリス海軍プロヴィデンス号のブロートン艦長に由来)がある。北側は新知海峡と通じているが、深さは2.5メートル程度しかない(かつては掘削が提唱されたが一度も行われなかった)。反対に、湾の中の深さは最大240メートルに達する。なお、本島は冬になると北西の風が頻繁に吹くため、武魯頓湾は船舶にとって絶好の避難所になる。
かつて、ソ連海軍の潜水艦艦隊の秘密基地があった。1987年に建設されたものの、1994年に放棄されている。その潜水艦基地の跡地は今でも衛星写真ではっきり見ることができる[1]。
北から順に次の山が並ぶ。
- 島の北部、武魯頓湾の南寄りに位置する山。
- 新知富士(しむしるふじ、海抜 1,360 メートル[2]、ロシア名:プレヴォ山 Прево、英名: Prevo)
- 島の中部に位置し、1825年から25年前後に一度噴火している最も活発な火山。「富士」を冠してあるだけあり、どの位置から見ても美しく見えるのが特徴。
- 緑湖カルデラ(みどりこかるでら、海抜 624 メートル[3]、ロシア名:ザヴァリツキ・カルデラ Zavaritzki)
- 島の中南部に位置する三重カルデラで、中央に濃青緑色の水をたたえるカルデラ湖、緑湖がある。緑湖は東西約2km、南北約3kmの面積である。南側には温水が湧いているため、冬でも全面が凍結しない。また、かつて北側には陸続きの小島があった模様。
- 新知岳(しむしるだけ、海抜 1,540 メートル[4]、ロシア名:ミリン山 Мильна、英名: Milne)
- 島の西南部に位置する最高峰。1881年、1914年に大噴火があった模様。
- 焼山(やけやま、海抜 891 メートル[5]、ロシア名:ゴリアシャイア・ソプカ Goriaschaia Sopka)
- 島の西南部、新知岳の北西に位置する、複数の火山が合わさった成層火山である。
島のほとんどは針葉樹林に覆われている。島には国境警備隊の建物があったが放棄され、現在は無人島である。
- 新知島の中心部には新知(しむしる、しんしる)集落に置かれていたが、この集落に定住者はいなかった。また、戦前にはキツネやトナカイが養殖されており、1945年までは捕鯨基地があった。
- 1931年(昭和6年) - 北太平洋航路調査を行っていたチャールズ・リンドバーグ夫妻の機体が計吐夷島の南東海面に不時着[6]。新知島に常駐していた農林省の船が救援に向かい、武魯頓湾に移動させて修理が行われた[7]。
- 1945年(昭和20年)、8月、ソ連軍が上陸し占領する。しかし、日本から米国東海岸への大圏航空路上にこの島が位置しているため、米国がソ連に対し、米軍基地設置を認めるよう要求。しかしスターリンは拒否。日本が降伏した9月2日に出された一般命令第1号により、ソ連占領地とされた。
- 1946年(昭和21年)、GHQ指令により、日本の施政権が正式に停止される。直後に、ソ連が領有を宣言する。
- 1952年(昭和27年)、日本国との平和条約で日本は領有権を放棄する(しかし、ソ連は調印していない)。以後、日本は千島列島の帰属は未確定と主張する。
- 1991年(平成3年)、ソ連が崩壊した後に成立したロシア連邦が実効支配を継承。
- 2002年(平成14年)、ロシアが核燃料の最終処分場を新知島に設ける構想が浮上するが、環境や費用の面から頓挫に終わる。
現在はロシア連邦の実効支配下にあるが、日本政府は国際法上は帰属未定地であると主張している。
- 『近代北千島列島誌』 上巻、2001年、29〜31頁
千島の無人島沖合に不時着『大阪毎日新聞』(『昭和ニュース事典第3巻 昭和6年-昭和7年』本編p759 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
機体を引航して武魯頓湾で修理『東京朝日新聞』昭和6年8月22日(『昭和ニュース事典第3巻 昭和6年-昭和7年』本編p760 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
北海道新聞社編 『千島縦断』、1994年 p.104 では 342 平方キロメートル