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手筒花火(てづつはなび)は、1メートルほどの竹筒に火薬を詰め、それを人が抱えながら行う花火である。手筒花火は、打ち上げ式ではなく吹き上げ式の花火で、その火柱は大きいものだと10数メートルにもなる。
愛知県豊橋市の吉田神社[1]は手筒花火の発祥の地といわれ18世紀に既に行われている[2]。豊橋市のある愛知県東三河地方、および静岡県の遠州地方西部で特に盛んである。
日本で花火が製造されるようになったのは16世紀の、鉄砲伝来以降である[要出典]。
『宮中秘策』(1741年)[要出典]によれば、1613年に徳川家康が江戸城内で花火を見物したという。この花火の1種が、手筒花火である。
徳川の砲術隊が、三河岡崎にこの技術を持ち帰り、三河・遠州で、花火(手筒花火)が盛んになったともいう[要出典]。
さらに古くは、豊橋の吉田神社に残る記録『三河国古老伝』に「永禄元年(1558年)天王祭礼祀ノ花火ト云フ事始メル」とあり、また『吉田神社略記』においては、「花火ノ創始ハ羽田吉田綜録ニ永禄三申庚年(1560年)今川義元公吉田城城代大原肥前守知尚公[注釈 1]花火ヲ始ムトアリ、花火の尤古ヨリ用ヒラレシハ流星、手筒トス然レドモ其ノ大ナル者ナシ、次デ建物(仕掛花火)綱火等用ヒラルルモ亦然リ、建物ノ巨大ナリシハ元禄十三年(1700年)一シテ手筒ノ雄大トナリシハ正徳元年(1711年)ナリ云々」とある。
通常の打ち上げ花火などとは違い、花火師が製造を行うのではなく、資格を取った地元の男衆が、最初の竹を切るところから最後の火薬を詰めるところまで、全て自分自身の手によって行い、最終的に神社の祭りで打ち上げ奉納するのが一般的である。 点火すると、轟音と共にオレンジ色の火柱が上がり、仁王立ちの状態で放揚する。最後には「はね」と呼ばれる、衝撃音と共に手筒の底が破裂する爆発によって幕を閉じる。(ただし、遠州地方の物の一部には「はね」がない事もある[要出典]。)
伝統的に手筒花火が行われているのは、愛知県東三河地方とそれに接する静岡県遠州地方の浜名湖沿岸地域であり[要出典]、同じ遠州地方でも、天竜川以東では伝統的なものは少なく、もし行われているとすれば、手筒花火が広く知られるようになった近年、伝統的に手筒花火を行っている団体を招くなどして新たにイベントとして打ち上げるようになった[要出典]ものがほとんどである。また同様のことが愛知県西三河地方にも言える[要出典]。
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