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後燕の第2代皇帝 ウィキペディアから
慕容 宝(ぼよう ほう、拼音:Mùróng Bǎo)は、五胡十六国時代の後燕の第2代皇帝。初代皇帝慕容垂の第4子。
慕容宝は慕容垂から後燕の膨大な領土を受け継いだが、その大部分を在位の数年のうちに北魏によって失った。北魏に反撃する道中で部下の反乱に遭い、簒奪した蘭汗によって殺されたが、子の慕容盛が蘭汗を斬って後を継いだ。慕容宝は優柔不断で軍事、政治的な決断ができなかったという[1]。
元璽4年(355年)、前燕の将軍であった慕容垂と正妻の段氏との間の子として生まれた。幼年から佞事を好んだという[1]。光寿2年(358年)に冤罪で母を亡くし、さらに慕容暐の時代になって命の危険を悟った慕容垂と共に前秦に亡命したが、前秦の宰相王猛は慕容垂一族の忠誠を信用していなかった。当初は慕容宝ではなく兄の慕容令が慕容垂の後継であったが、王猛による慕容垂を陥れるための謀略に嵌まった慕容令が前燕に帰国した挙げ句の自滅へと追いやられたため、慕容宝が長子になり後継となった。
前秦の東晋遠征の大敗(淝水の戦い)後、皇帝の苻堅は慕容垂の軍に守られて都に帰還した。この時、慕容宝は苻堅を殺して独立することを促したが、慕容垂は拒否した。しかし燕元元年(384年)初、慕容垂は北東平定に向かい、その先で反旗を翻した。慕容宝はこの時苻飛龍の軍を撃破した。同年春、慕容垂が燕王を名乗ると、慕容宝を太子に立てた。
慕容宝は勤勉で文才があり、慕容垂の朝士と交流があったため、継母の段元妃が有能な慕容農や慕容隆を推薦したものの慕容宝を皇太子に留めた[2][3]。慕容宝は主に慕容垂が遠征している間、中山を守っていた。388年、齢62の慕容垂は大事以外の国務はほぼ慕容宝に任せた。
建興6年(391年)、北魏の拓跋珪(道武帝)は異父弟の拓跋觚を使者として後燕に送ったが、後燕は拓跋觚を抑留し、返還の代償として良馬を送るよう要求した。拓跋珪は拒否し、北魏と後燕は対立した。建興10年(395年)遂に、慕容宝・慕容農・慕容麟は8万を率いて北魏を攻めた。拓跋珪は盛楽を放棄して黄河以西に鎮した。慕容宝が11月に攻めようと河を渡るところ、北魏は後燕の連絡網を絶って慕容垂が死んだという偽情報を流した。その後も北魏と後燕は対峙したが、この時慕容麟の一派が慕容麟を擁立してクーデターを起こし、失敗した。冬になると黄河が氷って北魏が攻め込むことを恐れた慕容宝は退却したが、拓跋珪は自ら追撃し、参合陂で大破した(参合陂の戦い)。生き残った者は慕容宝のほか数少なかった[4]。
建興11年(396年)、慕容垂は自ら兵を率いて北魏に攻め込み、平城を攻略し拓跋虔を殺すなど優勢だったが、軍が参合陂を通過する際、兵の嘆き声を聞いて憤怒のあまり病気になり、中山まで退却すると死んだ。4月、慕容垂は清河王慕容会を次代の皇太子に指定して逝去し、慕容宝は父帝のあとを継いで即位して永康と改元した。しかし、庶長子の慕容盛は、同年齢の異母弟の慕容会が皇太子になったことを恥辱に感じ、弟の慕容策を太子にすべく進言して、これが実現した。
永康2年(397年)3月、慕容宝は薊にて北魏軍に敗れる。将軍の慕容詳は中山にて帝位を僭称、慕容宝は黄龍に逃れた。慕容会は龍城を守っていたが、父の危機を聞いて駆けつけた。しかし、慕容宝は慕容会の兵を奪って、その弟の遼西王慕容農らに分け与えた。慕容会はこれに怒り、慕容宝らを攻撃した。慕容宝は龍城まで逃げたが、慕容会に包囲された。侍御郎の高雲が慕容会を破り、慕容会は中山に逃げた。これによって慕容宝は高雲を養子とし、夕陽公に封じた。のちに慕容会は慕容詳に殺された。9月、慕容宝の弟である将軍慕容麟は慕容詳を中山で斬り、自ら帝位についた。10月、慕容麟は北魏軍に敗れた。
永康3年(398年)、慕容盛と慕容農が切に諌めたにもかかわらず、慕容宝は慕容盛に龍城の留守を任せて、北魏に奪われた領土の奪回に出兵した。道中で疲れた軍が逆らった(段速骨の乱)ので慕容宝は龍城に帰還して守った[5]。しかし慕容農が降伏して龍城が陥落したため、慕容宝と慕容盛は薊城に奔走せざるを得なかった。蘭汗が龍城を取り戻すと慕容宝を迎え入れようと言った。慕容宝はこれを断り、慕容盛の助言に従って南の慕容徳に奔走しようとしたが、慕容徳は既に後燕から独立して南燕を建国していた。慕容宝と慕容盛は黎陽でこれに気づき、恐れて北に帰った。慕容盛は固く諌めたが、慕容宝が聞き入れずに龍城に戻ったので身を隠した。
慕容宝が龍城の外邸に入ると、すぐさま蘭汗の弟の蘭加難が軍を率いて慕容宝を殺した[1]。蘭汗は慕容策など慕容氏の皇族を大勢殺し、昌黎王を自称して後燕を継承するとした。7月、龍城に戻った慕容盛が蘭汗を斬り、自らを長楽公から長楽王に陞爵させて暫く皇帝位を代行した後に、第3代後燕皇帝として即位した。
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