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『恋の二十分』(こいのにじっぷん、Twenty Minutes of Love)は、1914年公開の短編サイレント映画。キーストン社による製作で、主演・監督はチャールズ・チャップリン。1971年に映画研究家ウノ・アスプランドが制定したチャップリンのフィルモグラフィーの整理システムに基づけば、チャップリンの映画出演11作目にあたる[1][注 1]。
恋の二十分 | |
---|---|
Twenty Minutes of Love | |
監督 | チャールズ・チャップリン |
脚本 | チャールズ・チャップリン |
製作 | マック・セネット |
出演者 |
チャールズ・チャップリン ミンタ・ダーフィ エドガー・ケネディ ゴードン・グリフィス チェスター・コンクリン |
撮影 | フランク・D・ウィリアムズ |
配給 | キーストン・フィルム・カンパニー |
公開 | 1914年4月20日 |
上映時間 | 7分から10分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 |
サイレント映画 英語字幕 |
作品の内容に関しては、いわゆる「公園」ものの一つに分類され、一巻に満たない長さながら「いたずら好き」、「女好き」とかすかな「ロマンス」が凝縮されている作品となっている[2]。
チャップリンの初監督作品として記録されているが、この点についてはチャップリン自身の記憶とずれがある(後述)。
公園を散歩していたチャーリーは、スリから時計を失敬する。やがてスリ、時計の持ち主と騒動となるが、時計はガールフレンドのもとにわたって感激される[3]。
『メーベルの身替り運転』の撮影終了後、チャップリンはセネットに対して、かねてから希望していた「自分で脚本を書いて監督をする」ことを要望し、セネットは一度はためらったものの、監督作品が外れた場合は「自腹で1,500ドル出して損失補てんしてもらう」という条件で許可を出した[4]。ところで、チャップリン自身は後年執筆した自伝で初監督作品を『とんだ災難』(または『にわか雨』)としている[5]。しかし、1914年8月に異父兄シドニー・チャップリンにあてた手紙に記された自身のフィルモグラフィーでは"my own Twenty Minutes of Love"(私自身の『恋の二十分』)と、明らかに自分の監督作であると区別している[6]。その位置は"my own Caught in the Rain"より上である[7]。チャップリンの伝記を著した映画史家のデイヴィッド・ロビンソンは、「50年の歳月のうちに忘れてしまったとも考えられるし、習作とみなして省いたとも考えられる」としている[2]。ともかく、『恋の二十分』以降のチャップリンは、若干の例外を除いて自身の出演作を自分で監督することとなった。
出典:[8]
など
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