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志水 小一郎(しみず こいちろう、1854年3月20日(嘉永7年2月22日[1])- 1932年(昭和7年)7月20日[2])は、明治から昭和初期の陸軍法務官、政治家。陸軍省法務局長、貴族院勅選議員。
肥後国熊本城下で熊本藩士・志水又七の長男として生まれる[1][3]。明治4年(1871年)開拓使学校に入学したが中退し工部省電信寮出仕となる[1][2][3]。
その後、陸軍に転じ、西南戦争に出征し歩兵少尉に任官し、1881年(明治14年)歩兵中尉に昇進[1][3]。文官に転じて陸軍裁判中録事に就任し、以後、同大録事、同少主理、同審事を務め、1883年(明治16年)理事となる[1][2][3]。陸軍省法務部部員を経て、1905年(明治38年)12月28日、陸軍省法務局長に就任し、1921年(大正10年)3月30日まで在任し退官した[2][4][5]。法制研究のためヨーロッパに派遣され、陸軍刑法の確立に尽力した[1][3]。
1924年(大正13年)6月8日、貴族院勅選議員に任じられ[6][7]、研究会に所属して活動し死去するまで在任した[2][8]。墓所は多磨霊園(13-1-4-17)
孫の楠男(1926~1979)は画商で南画廊創設者である。
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