徐福公園
和歌山県新宮市にある公園 ウィキペディアから
和歌山県新宮市にある公園 ウィキペディアから
徐福公園(じょふくこうえん)は、和歌山県新宮市新宮7178番地にある、徐福を記念する公園である。
元来この地には徐福の物とする墓があったが、1994年(平成6年)の8月にそれを中心として今ではこの公園の目印ともなっている中国風の楼門を設置するなど、大々的に整備が行われ現在のような公園となった。
伝承によると、徐福は秦の始皇帝に東方にある蓬萊・方丈・瀛州に不老不死の霊薬があると具申し、命を受けて財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出したというが、その内蓬莱に当たるのがここ新宮とされていて、徐福はその後新宮に住み着いたという。ここに住み着いた徐福とその従者たちは大陸からの文化や農耕、捕鯨や漁業に関する技術を新宮の人々に伝え、ここ新宮の地で歿したと伝わっている。
この公園にある徐福の墓は、江戸時代の元文元年(1736年)に建立されたもので、紀州藩初代藩主である徳川頼宣が儒臣の李梅渓に「秦徐福之墓」の文字を書かせたものと伝えられる。また、佐藤春夫の作詞で昭和26年(1951年)に制定された「新宮市歌」では、1番に「徐福もこゝに来たりとか」と歌われている[1]。
この公園にはこの徐福の墓を中心にして、1994年(平成6年)に徐福公園完成に合わせて設置された由緒板など以下のものが設置されている。
緑色片岩
公園の中には他にも財団法人新宮徐福協会による観光案内所を兼ねた売店「徐福売店」があり徐福や新宮市にまつわる様々なもの、「徐福茶」というお茶や「徐福ロマン」なる酒などを販売していて、毎年8月12日及び翌13日にはこの徐福公園で徐福を供養するための万燈祭が行われる。毎年8月8日に新宮市内の熊野川で行われる「新宮花火大会」も徐福を偲んだものである。
新宮市内には熊野川の河口近くにある蓬莱山および蓬莱山にある阿須賀神社や上陸の地など徐福にまつわる名跡が点在しているがそのほとんどがこの徐福公園内に集中している。アクセスは、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)紀勢本線の新宮駅から徒歩で2分ほどとなっている。
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