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東京生まれ、4歳より20歳まで北海道旭川市で育つ。ピアノを4歳から習い始める。小学校の学芸会では、ピアノ演奏や合唱の指揮をしていた。その頃見たテレビ番組『レナード・バーンスタインの世界』に感動し、心の中で指揮者に成ろうと思い始める。北海道旭川東高等学校1年生の春、指揮の勉強をする為に旭川から札幌まで通い、木村雅信に作曲を習い始める。そのうち作曲という創作の魅力に取り付かれて、作曲家に成ろうと決心する。
日本大学芸術学部音楽学科(作曲コース)卒業。同研究所修了。作曲を貴島清彦、小倉朗、ピアノを松谷翠、星野すみれに師事。日本大学鶴ヶ丘高等学校の講師を務めながら、20代前半より作曲家、ピアニストとして活発な活動を始め、1982年東京・新和楽コンソートを結成。『日本の作曲家 I ・松村禎三』、『日本の作曲家 II ・小倉朗』、『日本の作曲家 III ・間宮芳生』、『20世紀の音楽 I・II・III・IV』、『座光寺公明作品展 I・II・III』等を催す。
1984年に渡欧し、バーゼルで八村義夫の『ピアノの為のインプロヴィゼーション』などを含めた日本の現代作品を演奏。自作『無伴奏チェロのための変奏曲』(Op.16)を発表。1985年5月、ISCMバーゼル支部の招待で再び渡欧し、演奏会に参加。『ピアノ曲・I』(Op.28)を初演。1986年5月には再びスイスに渡り、アーレスハイムで演奏会に参加。『ピアノ曲・III』(Op.36)を初演。その後スペイン、デンマーク現代音楽祭を訪れ、音楽雑誌「音楽芸術」1986年9月号に記事を執筆。デンマークからノルウェーに渡り、ベルゲンでエドヴァルド・グリーグの家を見学。 同年6月、第2回世界仏教音楽祭に『CONTINUUM』(OP.18)が入選、初演される。同年8月8日『2台のピアノの夕べ』で、同窓の小林隆一と共に自作『Morphology』(Op.38)を始め、吉松隆の『ランダムバード変奏曲』、高橋悠治の『オフェーリアの歌』、小倉朗の『舞踏組曲』などを演奏する。同年8月、ラジオ・スペイン(マドリード)で『コンポジション・II「瞑」』(Op.11)、『コンポジション・III「気」』 (Op.13)が放送される。そしてその活躍が注目され出した矢先の翌年、1987年1月29日に急性心不全で夭逝した。結婚してからわずか10カ月後のことであった。
座光寺はわずか29年と9日の余りにも短い生涯で、40近い作品を残した多作家であった。彼の作品(楽譜)はすべて日本近代音楽館に保管されている。
調性的な語法の復興にも熱心であったが、ギター・ソロのための『モノ・モルフォロジー・II』(Op.27)(日本作曲家協議会・出版番号:JFC-8706)では比較的無調的なパッセージの手探りから強い緊張力を生み出そうとしている。
1992年4月23日、26日、30日、5月3日に催されたスペイン、バルセロナのTeatre Lliureでのコンサート“ORIENT - OCCIDENT”で、武満徹、尹伊桑の作品と共に『室内チェロ協奏曲』(Op.29-a)が演奏された。
2006年2月25日、「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」シリーズ第3期(1976年 - 2000年)II、「第34回 室内楽の諸相III」で、『フルートとピアノの為のモノディア』(Op.31)が演奏された。
2008年1月、作品番号の付いていない10代の時に書かれた習作、Scherzo,Andante 1, Adagioなどがスペインの作曲家Llibert López Pascualによって録音され、15歳の時に書かれた作品 Scherzo(1973年)は2月にイタリア(フェルモ)でラジオ放送された。
夫人は現在ロンドンに居を構えており、公式サイトを運営している(外部リンク参照)。
気候の厳しい北海道で育った為、我慢強い粘りの有る性格。スポーツ万能。中でもスキーは全日本スキー連盟1級から更に準指導員の資格を取得し、大学2年生の時より6年間、日本大学芸術学部体育科スキー教室と、美ヶ原スキー教室のスキーインストラクターを勤める。性格は一人の人間の中に相反する2つの性格が共存。タフで骨太であると同時に、非常に繊細な感受性を持つ。内向的であると同時に外向的。多くの作品にも反映されているように『死』というテーマや仏教に興味を持ち、非常に沈思的、瞑想的である一方、明るく冗談好きで、余興『花火』という踊りを披露しては人を爆笑させていた。海外に発表の場を求めインターナショナルであると同時に、雅楽を学び、『古事記』、『日本書紀』を愛読するナショナリスト。音楽的に非常に早熟で20代で40代や50代の作曲家と対等に話をする一方、子供のように純粋、至純だった。好きな色は黒。好きな食べ物は蕎麦。好きな町は鎌倉。師匠の小倉朗と鎌倉山蕎麦どころ『らい亭』をよく訪れていた。無類の読書家。好きな作家は芥川龍之介。オペラ『蜘蛛の糸』を構想中に亡くなった。非常に几帳面で、残された作品は死がいつ訪れてもいいように、実に整然と整理されていた。
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