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広沢家(ひろさわけ)は、藤原北家秀郷流波多野氏庶流の武家・士族・華族だった日本の家。もとは波多野を称し、吉見氏・毛利氏の家臣だった。幕末維新期の当主で広沢に改姓した広沢真臣は国事に奔走し、戊辰戦争で東征大総督参謀として戦功をあげ、政府高官として内政に活躍。その勲功により金次郎の代に華族の伯爵家に列せられた[1]。
波多野氏は藤原秀郷の後裔経範が相模国波多野荘を領して波多野を称したのに始まる。経範の七代孫景定は、建久8年(1187年)に源頼朝の命で吉見為能に属して能登国へ下向したが、その子孫の景信が弘安5年(1282年)に吉見頼行に従って因幡国津和野へ移住、さらに真信の代に長門国阿武郡小川村へ移住。これ以降、毛利氏の家臣である吉見氏の家臣家として続く[2]
関ヶ原の合戦後、毛利家の領地が防長二国に削減されたことで吉見氏の領地も削られて大家臣団を維持できなくなり、波多野氏も一時浪人することを余儀なくされたが、吉次の時に毛利輝元に召し出されて以降長州藩士家として続く。長州藩内の家格は大組で石高は1000石余[2]。
波多野直忠の代に同藩士柏村安利の子兵介を養子とした。この兵介が波多野金吾となったの経て、慶応元年に藩主の命により広沢真臣に改名した[3]。広沢の姓は波多野氏の分流が使っていた姓である[4]。真臣は幕末維新期に国事に奔走し、戊辰戦争では東征大総督参謀として戦功をあげた[5]。その勲功により明治2年には賞典禄1800石を下賜された[3]。維新後、参与、民部官副知事、民部大輔、参議と昇進し、木戸孝允らとともに版籍奉還を推進したが、明治4年(1871年)正月9日に東京麹町の私邸で暗殺された[6]。正三位を追贈された[7]。
真臣が死亡した当時、遺児の金次郎はまだ誕生しておらず[7]、真鍋安信の次男直諒を養子としていたが、彼も明治6年4月9日に死去したため、真臣の次女万萬壽子と結婚して婿養子となった節蔵が明治6年8月に広沢家を相続したが、彼は明治11年に妻と離婚したため、真臣の実子である金次郎が明治12年に幼くして家を相続した[8]。
明治11年5月23日に華族に列していた木戸孝允の養子木戸正二郎と大久保利通の子大久保利和を先例として、維新勲功者が死去していた広沢家の広沢金次郎にも明治12年12月に華族編列請願が出され、内閣書記官主査により回議に供された。真臣の王事に尽した功績が認められて同月27日付けで広沢家は士族から華族編列となった[7]。
勲功華族の中で、華族令制定前から華族に列していたのは、この広沢家と、大久保家、木戸家の3家のみである。3家とも叙爵当時維新功労者本人が死去していたことが背景にあった。この3家が華族に列せられたことは、家柄に依らずとも勲功のみによって華族に叙されえるという華族の門戸を万民に開く先例になった点で大きな意義があった[9][10]。
金次郎は英国ケンブリッジ大学に留学し、帰国後、貴族院の伯爵議員に当選し、内閣総理大臣秘書官、駐スペイン・ポルトガル特命全権公使などを歴任した。その後実業界へ転身し、数多くの企業の重役を務めた[11][3]。金次郎の夫人は山尾庸三子爵の娘千代子[8]。
その息子で爵位を継承した慎吾は海軍技術大佐まで昇進した海軍将校だった[8]。その夫人は大隈信常侯爵の娘豊子[8]。慎吾の代の昭和前期に広沢伯爵家の住居は東京市目黒区鷹番町にあった[11]。
慎吾の妹である直子は第58-60代内閣総理大臣の池田勇人の夫人だった[3]。
波多野直忠 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広沢真臣[注 1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直諒[注 2] | 千代子[注 3] | 萬壽子 | 寅子[注 4] | 金次郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
節蔵[注 5] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金次郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
慎吾 | 壽子[注 6] | 温子[注 7] | 直子[注 8] | 富士子[注 9] | 鋼四郎 | 信雄 | 大八郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
真理子 | 恵利子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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