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日本の教育者 ウィキペディアから
平林 広人(ひらばやし ひろんど、1886年4月3日 - 1986年2月21日)は、日本の教育者、児童文学翻訳家。デンマーク文学者。アンデルセンの研究で知られる。
長野県東筑摩郡上川手村(現安曇野市)に元村長・平林広十郎の子として生まれる。1905年旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)卒業。在学中に日本メソヂスト教会で受洗。上川手尋常小学校の代用教員となる。1908年青山学院高等科を中退。独学でキリスト教地方伝導士試験に合格。1915年には29歳で北安曇郡陸郷北尋常小学校長となる。
上京して東京市長・後藤新平の協賛を得て、1917年夏に通俗大学会の木崎夏期大学を開講させる。信濃通俗大学会は国民育成のために学校以外にも国民が学べる場が必要であるという理念のもと、平林の奔走で、後藤新平、加藤正治、今井五介、沢柳政太郎、伊藤長七、佐藤寅太郎らが設立に関わった組織で、公益財団法人として現在も続いている[1][2]。1924年から3年間デンマークの成人教育機関「アスコフ国民高等学校」に留学。帰国後、青山学院専門部神学部講師。昭和4年 (1929) に興農学園校長に就任。1933年渡満し、新京でメソジスト教会の創設に参加する。
1962年日本児童文学会が発足すると評議員となり、1966年から東海大学文学部で北欧史を講義しながら児童文学の翻訳に多くの業績を残した。1986年、99歳で没する。
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