平家貞
平安時代後期の武将 ウィキペディアから
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平安時代後期の武将 ウィキペディアから
平 家貞(たいら の いえさだ)は、平安時代後期の武将。伊賀国を本拠とする伊勢平氏譜代の有力家人である。平忠盛・平清盛の二代に渡って仕え、「一ノ郎等」[1]といわれた。
平忠盛の側近として知られ、公卿らが殿上人になった忠盛を闇討ちにする計画を立てた際、殿上の小庭に武装して控えて未然に防いだという逸話がある[2]。
忠盛の信頼は厚く、平氏の本領である伊賀鞆田荘の沙汰人となり、東大寺などの勢力を排除して在地経営に携わった。忠盛が西国の海賊追討に赴くとこれに付き従い、海賊追捕の賞として兵衛尉から左衛門尉に昇進する[3]。
忠盛の死後は清盛に仕え、保元の乱・平治の乱で活躍する。保元3年(1158年)清盛が大宰大弐となり九州へ進出すると、家貞も筑後守に補任され、薩摩の阿多忠景や肥前の日向通良の反乱を鎮圧するなど、平氏の九州での勢力拡大に大きな役割を果たした。『平家物語』は一ノ谷の戦いで戦没したと記しているが、『玉葉』ではこれ以前に既に他界していた旨の記述がある。
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