市川一雄
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長野県下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校卒。地域紙「湖国新聞」編集長を経て、編集工房「草原社」(現「あざみ書房」)を設立し、地方文献を出版[2]。
文芸誌『窓』編集発行人。自身の著書も多数。
「諏訪こぶしの会」(新田次郎顕彰会)会長、「ふるさとの製糸を考える会」副会長、諏訪市文化財専門審議委員、下諏訪町文化財専門委員等、多数の役職を務めた。
霧ヶ峰 ビーナスライン建設にあたり、新田次郎、藤森栄一らと共に反対運動(霧ヶ峰八島線事件[3])に取組み(1967~)、当初の八島ケ原湿原や旧御射山遺跡を通る計画を回避させた[4]。
前記反対運動と前後して発行を開始したミニコミ誌『諏訪文化新報』や、諏訪地域の文芸雑誌『諏訪文学』等においては、「市川梶郎」のペンネームも用いた[3]。
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