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崔 春国(崔春國、チェ・チュングック、최춘국)は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の満州派に属する軍人。朝鮮戦争では第12師団を指揮。文献によって崔忠国(崔忠國、최춘국)と表記される。
1914年、咸鏡北道の鉄道労働者の息子としてに生まれる。
汪清遊撃隊に入隊[1]。1930年、金日成の紹介で中国共産党に加入。1932年、汪清遊撃隊第2中隊指導員。1936年、抗日パルチザンの東北抗日聯軍第2軍の連指導員。1937年4月、第2軍独立旅第1団団長。以後、第3方面軍第1団団長、警衛旅第3団政治委員を歴任。1940年7月頃、第3方面軍第13団政治委員兼任[2]。1940年9月、第5軍政治部主任季青の主導で道南特委が結成され、安吉や朴徳山と共に委員に任命[3]。日本軍の討伐を逃れて1940年11月にソ連に入り、オケアンスカヤ野営学校に収容される[4]。第88特別旅団第4大隊第7中隊副中隊長。1945年9月、北朝鮮に帰国し、咸鏡北道羅南警備司令部の責任者[5]や政治局員等を務める。
1948年2月1日から1949年5月6日まで第1師団第3連隊長[6]。後に内務省警備処海岸警備局長[7]。
1950年6月、朝鮮戦争勃発。7月初旬に春川攻略の不手際で第12師団長の全宇少将が更迭され、後任として師団長に任命される。南進を指導したが、慶尚北道安東市における戦闘中、7月30日に地雷に触れて戦死。なお、兪成哲は迫撃砲の直撃による戦死と証言している[8]。第12師団は後に安東崔春国第12歩兵師団と改称された[9]。
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