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岸本 能武太(きしもと のぶた、慶応元年12月16日(1866年1月22日) - 昭和3年(1928年)11月16日)は、日本の宗教学者[1]。宗教学者の岸本英夫は次男である[2]。
慶応元年12月16日(1866年1月22日)、岡山県岡山市花畑に岡山藩士である滝義夫の次男として生まれる[3][4]。
1880年7月、岡山中学校を卒業し、同年9月、京都同志社英学校普通科に入学する[4]。1882年2月5日、新島襄から洗礼を受ける[3]。1884年6月、京都同志社英学校普通科を卒業する[4]。
1885年4月、同志社英学校神学科に入学し[注釈 1]、1887年6月、卒業する[4]。
仙台の東華学校で教師を務めた後[5]、1890年9月、ハーバード大学神学科に留学し、宗教哲学、比較宗教学、サンスクリット語、パーリ語を研究する。1893年8月、シカゴの万国大博覧会における万国宗教大会議に参加し演説を行う。同年9月、「Bachelor of Divinity」の学位を得て卒業する[4]。
1893年9月、ハーバード大学校大学院に入学し、宗教哲学を研究する。1894年6月、「Doctor of Philosophy」の学位に対する口頭試験を修了する[4][注釈 2]。
1894年7月、帰朝し、同年9月、東京専門学校、宇宙神教神学校にて比較宗教学の講義を開く[4]。
1895年3月から7月において、遼東半島及び朝鮮半島の風俗や宗教等を視察する[4]。
1896年、姉崎正治と共に「比較宗教学会」を設立する[3]。同年よりユニテリアンの機関紙『宗教』の編集にあたる[3]。
1897年1月、姉崎正治、大西祝、横井時雄等と共に「丁酉懇話会」(後の「丁酉倫理会」)を結成する。同年11月、『六合雑誌』の編集委員となる[3]。
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