山田 隆一(やまだ たかかず、1868年9月2日(慶応4年7月16日) - 1919年(大正8年)3月8日[1])は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将従三位。
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経歴
山口県厚狭の平民山田貢四郎の二男として生まれる。1885年2月、分家し、一家を成す。1888年7月28日に陸軍士官学校(旧10期)を卒業し、陸軍少尉に任官。1891年11月、陸軍大学校に入学したが、日清戦争出征のため中退。戦後に復校し、1896年3月、陸大(10期)を優等で卒業した。
後備歩兵第6連隊中隊長、参謀本部付、軍務局課員、台湾兵站部副官、ドイツ駐在武官、軍務局課員(軍事課)、兼梨本宮守正王付武官などを歴任。日露戦争に第2軍参謀として出征し、功により勲三等、功三級を賜る。その後、軍務局課員、近衛歩兵第3連隊長、陸軍省副官、軍務局軍事課長などを経て、1911年9月、陸軍少将に昇進[2]。
歩兵第11旅団長、陸軍歩兵学校長、軍務局長、陸軍次官などを歴任し、1916年8月、陸軍中将に進んだ。1918年10月、第5師団長に就任したが、翌年3月に現職のまま広島に於いて薨去。享年51。墓所は築地本願寺和田堀廟所。
栄典
- 位階
- 勲章等
親族
- 娘婿 周山満蔵(陸軍中将)
- 男 山田忍三
脚注
参考文献
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