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山本 幸二(やまもと こうじ、1963年11月14日 - )は、愛知県豊明市出身の元プロ野球選手(捕手)[1]。右投右打[1]。現在は読売ジャイアンツ(巨人)の査定室長を務める。
名古屋電気高校時代は工藤公康(1981年西武ドラフト6位指名)とバッテリーを組み、広島東洋カープに在籍していた山本浩二にあやかった「コージマーチ」で本塁打を打ち「尾張のコージ」として有名になった[1]。高校3年時には1981年・夏の甲子園で準決勝(ベスト4)まで進出したが[1]、エース金村義明を擁する報徳学園高に惜敗した[2]。工藤以外のチームメートには二塁手の高橋雅裕・遊撃手の中村稔がいた。
1981年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツ(巨人)から2位指名を受け入団[1]。当時の巨人には同姓同音名(名前の漢字が違う)の山本功児が在籍していたため[3]、音声上は区別するのが困難であった(背番号も本人は43[1]、山本功児は44[3]と1つしか違わなかった)。ドラフト同期には工藤・浜田一夫(愛知高等学校→中日2位指名)とともに「愛知三羽烏」として名を馳せた[4]槙原寛己[5]・村田真一[6]らがいる。
プロ入り3年目の1984年に初めて一軍出場し、翌1985年には山倉和博の控えの捕手として一軍に定着。主にキース・カムストックの先発する試合で21試合に先発マスクを被り、勝負強いリードで勝利に貢献した。しかし、翌1986年には近鉄バファローズからベテラン捕手の有田修三が移籍。高田誠・村田真一といった同世代捕手の台頭や中尾孝義らの加入で、それ以降一度も一軍から声がかかることなく1991年限りで現役を引退した。
年度 | 試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
---|---|---|---|---|---|
1984 | 1 | 0 | 0 | 0 | ---- |
1985 | 40 | 33 | 29 | 4 | .121 |
通算 | 41 | 33 | 29 | 4 | .121 |
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