山姥 (能)

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山姥 (能)

山姥』(やまんば、やまうば)は、山に棲む妖怪である山姥を素材にしたの作品。五番目物・鬼女物に分類される。囃子に太鼓が入る太鼓物である[3]

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山姥
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作者(年代)
世阿弥室町時代
形式
複式夢幻能
能柄<上演時の分類>
鬼女物(五番目物)[1]
現行上演流派
観世宝生金春金剛喜多[1]
異称
シテ<主人公>
山姥
その他おもな登場人物
百ま山姥(ツレ)、その従者(ワキ)
季節
不定
場所
越後国上路あげろ山の山中(現新潟県糸魚川市上路[2]
本説<典拠となる作品>
不明
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概要

能のあらすじは次のとおりである。都で、山姥の山めぐりを題材にした曲舞を舞って名声を得た、ひゃくま山姥という名の遊女(ツレ)が、善光寺に詣でようと考え、従者ら(ワキ、ワキツレ)とともに北陸道を進み、上路越あげろごえという険しい道を越えることとなる。すると、日が異様に早く暮れかけ、一行が途方に暮れたところに、女(前シテ)が現れ、一夜の宿を申し出る。女は、百ま山姥に山姥の曲舞を謡ってほしいと所望し、自分が真の山姥であることを暗示して姿を消す(中入り)。百ま山姥が待っていると、山姥(後シテ)が現れ、山姥の境涯を語る曲舞に合わせて舞う。妄執を逃れられない苦しさを訴える一方で、「善悪不二」、「邪正一如」、「煩悩即菩提」といった禅の思想を説く。そして、山めぐりの様子を舞って見せてから、姿を消す(→進行)。

申楽談儀』の記述や、修辞・引用の特徴などから、世阿弥の作と考えられる。特に典拠はなく、世阿弥のいう「作り能」と思われる(→作者・沿革)。

山姥の曲舞を舞って評判をとった百ま山姥の前に、本物の山姥が現れるという凝った構成となっている。また、山姥が「煩悩即菩提」という禅思想を説きながら、しかも最後まで妄執にとらわれ続けるという逆説が、そのまま「煩悩即菩提」という主題を体現している。晩年の世阿弥が、禅の思想に親しんでいたことを示す作品である(→特色・評価)。

進行

要約
視点

前場

百ま山姥とその従者の登場

都で山姥の山めぐりを題材にした曲舞を舞って名声を得た、ひゃくま山姥(百万山姥、百魔山姥)という名の遊女(ツレ)が、信濃国善光寺に詣でようと、都を出発する。従者ら(ワキ、ワキツレ)が、その供をしている。一行は、志賀の浦から北陸道を進み、愛発山安宅、砺波山を経て、越中国越後国の国境にある境川にたどり着く。

道尋ね

従者は、道を尋ねようと言って、在所の者(アイ)を呼び出す。在所の者は、上路越あげろごえという道(親不知の背後の上路山を越える道)が如来のお通りになった道であり、本道であるが、乗り物で通ることはできないと説明する。従者は、百ま山姥にそのことを報告する。すると、百ま山姥は、乗り物を降りて上路越を越えることを決意する。

宿を勧める女

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能面「深井」東京国立博物館蔵。中年女性の面である。

従者(ワキ)は、所の者(アイ)に道案内を頼み、一同は山道を進むが、やがて日が異様に早く暮れかけることに気付き、途方に暮れる。そこに、女(前シテ)が現れ、一夜の宿を申し出る。女は、百ま山姥の一行と察しており、山姥の曲舞を謡ってほしいと所望する。そして、山に住む女を山姥というのなら、私こそ山姥ではないかと言い、私の身を弔ってほしいと、曲舞を所望する理由を述べる。

女(前シテ)は、深井ふかい(または近江女、霊女りょうのおんな)の面、鬘を着け、装束は無紅いろなし唐織、扇を持った里女出立である[6]

姿を消す女

百ま山姥が、曲舞を謡おうとすると、女は、月夜の中謡ってくだされば、真の姿を現しますと言って、姿を消した(中入り)。

間狂言

所の者(アイ)が出て、日が暮れたかと思うとすぐ夜が明ける山の不思議を述べ、従者(ワキ)に、山姥のことを語って聞かせる[9]

所の者(アイ)の語りは、山姥には鬼女ならぬ「木戸」がなるものだというような珍説を述べては従者(ワキ)に否定されるという、滑稽味のあるものである[10]

後場

待謡

百ま山姥は、女の出現を待つ。

山姥の登場

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能面「山姥」東京国立博物館蔵。

そこに山姥(後シテ)が現れる。山姥は、前世の悪業により鬼となった者は自らの死屍を鞭打ち、前世の善行により天人となった者は自らの死屍に散花するという説話を引くが、「いや善悪不二」と、禅的な思想を説く。

山姥(後シテ)は、山姥の面、山姥鬘を着け、装束は無紅唐織、半切、扇の鬼女出立である。鹿背杖を突いている[13]

山姥の姿の描写

百ま山姥(ツレ)と山姥(後シテ)との掛け合いの中で、山姥の姿が、髪は乱れて白髪で、眼光鋭く、顔は朱の鬼瓦のように醜いと描写される。山姥は、自らを『伊勢物語』で女を一口に喰った鬼になぞらえ、同じように物語されるのではないかと恥じる。

曲舞の謡い出し

百ま山姥が、「よし足引の山姥が。山廻りするぞ苦しき。」という謡い出し(次第)から始まる曲舞を謡い始める。

山姥の曲舞

山姥の境涯を語る曲舞に合わせて、山姥が舞う。山姥が住む人気のない山や谷の情景から始まり、山や谷を仏教における菩提や衆生にたとえる。また、山姥が樵や機織りの女を手助けすることを語る。そして、「唯打ち捨てよ何事も」と妄執を捨て去ることを説きつつも、妄執から逃れられない我が身を「よし足引の山姥が。山廻りするぞ苦しき。」と再び謡うところで曲舞が終わる。

山姥の立ち働き

山姥は、鹿背杖を持って、山めぐりの様子を見せる(立廻り)[17]

終曲

山姥は、春は咲く花、秋はさやけき月影、冬は冴え行く時雨の雪と、雪月花に寄せて山めぐりの様子を舞って見せ、消え失せる。

作者・沿革

世阿弥の芸談をまとめた『世子六十以後申楽談儀』には、「山姥、百万、これらは皆名誉の曲舞どもなり」、「実盛・山姥もそばへ行きたるところあり……当御前にてせられしなり」とあり、世阿弥自身が上演したことが分かる。そのほか、修辞や引用の特徴などから、世阿弥の作とする見解が一般的である[20]

特に典拠はなく、世阿弥のいう「作り能」と思われる[21]。本作品が、「山姥」についての文献上の初見である[22]

特色・評価

世阿弥による「そばへ行きたるところあり」という評価は、趣向に凝っているということと思われる[23]。すなわち、構成面においては、山姥の曲舞を舞って評判をとった百ま山姥の前に、本物の山姥が現れるという入れ子構造がとられている。また、妄執の権化である山姥が、「煩悩即菩提」という禅思想を説きながら、しかも最後まで妄執にとらわれ続けるという逆説的な物語となっており、そのこと自体が「煩悩即菩提」という主題を体現している[24]。晩年の世阿弥が、禅の思想に親しんでいたことを示している[25]

本作品に現れる山姥は、人を喰う恐ろしい鬼女ではなく、むしろ仙女のような存在であり、自然そのものの象徴、あるいは人間の象徴とも考えられる[26]

一曲を通じて、優美な感じもある一方で鬼気がみなぎっており、「力と速度の能」と言われるとおり、ダイナミックで迫力に満ちた作品である[26]

脚注

参考文献

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