小笠原貞哲
江戸時代後期の大名。豊前小倉新田藩(千束藩)5代藩主。小笠原貞温の長男。従五位下備後守、近江守、備中守。 ウィキペディアから
小笠原 貞哲(おがさわら さだとし)は、江戸時代後期の大名。豊前国小倉新田藩(千束藩)5代藩主。4代藩主・小笠原貞温の長男。
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略歴
江戸で誕生。文化3年(1805年)11月8日、父貞温の嫡子となる。文政2年(1819年)10月1日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月22日、従五位下備後守に叙任する。文政5年(1822年)4月16日、父貞温の死去により家督を継ぐ。文政6年(1823年)10月15日、大番頭に就任した。天保7年(1836年)10月26日、病気を理由に辞任する。天保9年(1838年)、藩内の5か村で農民による逃散騒動が起こった。天保14年(1843年)12月9日、隠居し、次男・貞謙に家督を譲った。その後、三楽と称した。
系譜
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