小池博史
日本の演出家 ウィキペディアから
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小池 博史(こいけ ひろし、男性、1956年1月25日 - )は、日本の空間演出家・作家・振付家・映画監督。
小池 博史 | |
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誕生 | 日本 茨城県日立市 |
職業 | 演出家・作家・振付家・映像作家、「舞台芸術の学校」代表 |
最終学歴 | 一橋大学社会学部 |
ジャンル | 空間芸術 |
代表作 | 「SHIP IN A VEIW」(1997年)「WD」(2001年)「Heart of GOLD~百年の孤独」(2005年)「完全版マハーバーラタ」(2021年)「コスモス」(2023年) |
デビュー作 | 「壊れもののために」 |
公式サイト | https://kikh.org |
1982年パフォーミングアーツグループ「タラフマラ劇場」を設立(1987年に『パパ・タラフマラ』に改称)。2012年5月の同グループ解散まで全55作品の作・演出・振付を手掛ける。2012年6月に6月に『小池博史ブリッジプロジェクト』を立ち上げる。(2023年6月、『小池博史ブリッジプロジェクトーOdyssey』に改称)現在までに33作品を創作。北南米、欧州、アジア18カ国にて創作。42カ国をツアーしている。
茨城県日立市に生まれる。 中学3年生の時、アントニオ・ガウディの建築写真とマイルス・デイビスのアルバムに衝撃を受け、建築家を目指しながらジャズ評論家を志した。大学は建築を志望していたが、東京に出てきた際にたまたまフェデリコ・フェリーニの映画「フェリーニのアマルコルド」を観て感動し、映画監督を志すようになる。 一橋大学に入学後、同級生に「映画も舞台も同じようなものだ」と言われたことをきっかけに初めて舞台演出を手掛ける。 大学を卒業後、ドキュメンタリー番組のディレクターとして勤めるが2年で辞め、1982年6月 、当時一橋大学在学中の小川摩利子らとともに「タラフマラ劇場」を設立(1987年にパパ・タラフマラへと改名)。[1]
1995年、パパ・タラフマラの付属研究機関「パパ・タラフマラ舞台芸術研究所(P.A.I.)」を設立(後に舞台芸術の学校に改称)。1997年から2004年までつくば市芸術監督、1998年にアジア舞台芸術家フォーラム in 沖縄実行委員長、2005年から2011年に国際交流基金特定寄附金審議委員等を歴任。2020年から2023年、武蔵野美術大学教授を務める。
2012年5月、パパ・タラフマラ解散。小池博史は「パパ・タラフマラの解散により、日本の舞台芸術のあり方を広く考え直してもらいたい」と解散の意図を語っている。[2][3]
2012年6月、小池博史ブリッジプロジェクトを設立。2013年からインドの古代叙事詩『マハーバーラタ』の全編舞台化に取り組む。アジア各国で制作を行い、2020年7月に東京で集大成としての舞台を上演予定だったが、Covid-19の蔓延により公演を延期、2021年8月に「完全版マハーバーラタ」として6時間半の作品を上演した。また、公演の延期を機に映画監督として活動を始め、写真映画の「バラタ」、短編映画の「壊れた時間のバラタ」を制作した。2022年には劇場長編映画の「銀河2072」を制作。
2022年より、日本、ポーランド、マレーシア、ブラジルの4カ国による4カ年の国際共同舞台芸術創作事業「火の鳥プロジェクト」始動。[4]2022年度ポーランドにて「KOSMOS コスモス」、2023年度マレーシアにて「Soul of ODYSSEY」を創作・上演。
パパ・タラフマラ
小池博史ブリッジプロジェクト
その他
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