小林福太郎
日本の修理大工、建築家 ウィキペディアから
小林 福太郎(こばやし ふくたろう、1882年(明治15年)11月[1] - 1938年(昭和13年)3月26日[1])は、日本の修理大工、建築家。社寺を中心に和風建築作品を多数設計した。
経歴等
東京出身[1]。工手学校(現工学院大学)を卒業[1]。もともとは内務省に奉職したのち、宮内省内匠寮に入り、特別保護建造物の修繕に従事[2]。 1913年(大正2年)、御料車内部装飾設計を鉄道院から嘱託され両陛下御同乗車(皇室用客車 § 7号御料車)、賢所奉安御車(賢所乗御車)を担当する[3]。
1919年(大正8年)、日光廟大修理工事の主任技師となる[2]。
1925年(大正14年)には小林建築設計事務所を設立[2]。没後は息子の小林謙一が継ぎ、大物忌神社吹浦宮や浅草寺雷門などを設計している。
また平安神宮増築の際、本殿、社務所の改築計画案を作成するが実現はしなかった[2]。 明治神宮宝物殿競技設計で二等首席[4]。
作品
設計



- 光雲神社本殿、中門、拝殿[3]。1909年。
- 風浪宮拝殿、総門、透塀等[3]。1910年。
- 両陛下御同乗車(皇室用客車 § 7号御料車)、賢所奉安御車(賢所乗御車)内部装飾設計[3]。1913年。
- 太宰府天満宮楼門、廻廊、東西門等[3]。1914年(※安藤時蔵と共同か)。
- 唐沢山神社神橋(登録有形文化財)[3]。1921年
- 小西旅館別館[5] 。1921年。
- 長福寿寺本堂、総門[3]。1925年。
- 東勝寺 (成田市)(宗吾霊堂)再建設計[3]。1925年。
- 安藤博邸[3]。1926年。
- 深川不動堂本堂再建[6]1925年。
- 成田山新勝寺洗心堂[3]。1927年。
- 長林寺 (足利市西宮町)本堂、開山堂[3]。1927年。
- 賀茂神社 (桐生市)拝殿、幣殿、神饌所[3]。1928年。
- 秩父神社境内整理、神楽殿、授与所など[3]。1929年。
- 貫前神社大鳥居、社務所[3]。1929年。
- 華厳の滝エレベーター昇降場[3]。1929年。
- 國學院大學神殿。1929年[7]。
- 白山比咩神社社務所、神門など[3]。1930年。
- 度津神社社殿[3]。1932年。
- 江沼神社社殿[3]。1930年。
- 淺草觀音堂昭和大修理[8][9]。1930年。
- 本龍院(待乳山聖天)[3]。1930年。
- 足利織姫神社新築工事。1934年。
- 佐嘉神社造営工事(焼失)。1934年。
- 樺太護国神社[3]。1934年。
- 千栗八幡宮社殿[3]。1934年。
- 朝日森天満宮[3]。1935年。
- 漢口神社[3]。1935年。
- 彌彦神社随神門、廻廊[3]。1935年。
- 稲荷神社(杉並区)[3]。1936年。
- 柞原八幡宮社務所斎館[3]。1937年。
- 南洋神社[3]。1937年。
- 御西山修養道場(現常陸太田市西山研修所)[3]。1937年。
- 鹿島修養道場(現・鹿島神宮武徳殿)[3]。1937年。
- 野田神社改築能舞臺[10][11]。
著作等
- 『小林福太郎氏遺作集』建友会 編 (洪洋社, 1943)
- 『北支満鮮随行日誌 図書』旭峯小林福太郎 著 (小林福太郎, 1928)
- 日本住宅の手入と保存法 / 建築画報. 18(6) 、建築画報社, 1927年6月号。
- 鐵筋コンクリート造の寺院建築に就て / 工業ト社会. 31(7) 国立国会図書館/図書館送信限定 雑誌 (東京工業会出版部, 1929年7月)
- コンクリートの美――(長林寺建築) / 建築画報. 20(9)(245) 、建築画報社, 1929年9月号。
- 江沼神社長流亭を觀る / 建築画報. 23(11)(283) 、建築画報社, 1932年11月号。
- 下毛の古建築村檜神社本殿 / 建築画報. 18(3) 、建築画報社, 1927年3月号。
出典
参考文献
関連文献
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