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小林 栄三(こばやし えいぞう、1949年1月7日 - )は、日本の実業家。現在伊藤忠商事特別理事(2018年 - )。
1949年1月7日、父・文雄、母・千秋の三男として、福井県三方上中郡若狭町(旧上中町)で生まれた。福井県知事を5期20年務めた中川平太夫は伯父(母の兄)にあたる。気丈な母から「あたふたしない」「懐を深く」という心のあり方を受け継いだ。
高校は、福井県立若狭高等学校を卒業。当時の同校は、全国でも稀な『縦割りホームルーム制』を採用しており、「学年や学科の枠を超えたクラスメートとの活発な交流」によってコミュニケーション能力が鍛えられた。「人と会って話すのが趣味」であり、「人をポジティブにとらえる人間観」や「多様な個性を束ねて目標に突き進むリーダーシップ」の基礎は高校時代に培われた。
大学は、大阪大学基礎工学部物性物理工学科を卒業。高校~大学時代、人あたりがよく、『来る者拒まず』であったので、家や下宿には、毎日のように友人・知人が集い、議論が交わされた。そして人間関係を何より大切にする『人間力学』を学んだ。[1]
1972年、「理系出身ながらモノより人に興味」があり[2]、商社を選んで、伊藤忠商事入社。
電子機器部電子機器第二課を振りだしにエレクトロニクス、情報産業、IT、インターネット事業創生記に活躍。1976年から1980年まで香港支店勤務のあと、1982年には伊藤忠エレクトロニクス(株)に出向。1986年から1994年までロサンゼルスに駐在。帰国後は情報産業・メカトロシステム部でコンピュータ・情報機器の販売に従事、1999年から2002年にかけて情報部門長を務めた[要出典]。
明確な指示、強力なリーダーシップで部門内をまとめ、インターネットの普及にともない世の中でeビジネスへの関心が高まるや、全社横断的組織「ネットの森」の“番人”として、各カンパニーにおけるネットビジネスのスピーディーな立ち上げを支援する陣頭指揮に自らあたった[要出典]。
1999年、子会社・伊藤忠テクノサイエンス(CTC)(現在の伊藤忠テクノソリューションズ(株))の上場で中心的な役割を果たした。折しも不良資産の一括償却などで約4000億円の特別損失を計上し、伊藤忠商事が財政面でどん底だった時期に、CTCは2000年3月期だけでも連結で1606億円の株式売却益をグループにもたらした[要出典]。
2000年執行役員、2002年常務執行役員に就任。2002年には経営企画・財務・経理・審査担当役員補佐(経営経理担当)(兼)チーフ インフォメーション オフィサー(兼) SI・リテール室長(兼)ネットの森番人。2003年には経営企画・事業・総務・法務担当役員(兼) チーフ インフォメーション オフィサーとして全社の経営企画に携わってきた。同年6月、常務取締役。2004年4月から専務取締役を務め、同年6月、取締役社長に就任。2010年4月、会長に就任[要出典]。
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