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小林 政夫(こばやし まさお、1914年2月16日 - 2000年9月15日)は、日本の実業家、政治家。日東製網社長、参議院議員(1期)、福山商工会議所会頭などを歴任した。孫に衆議院議員の小林史明がいる。
広島県福山町(現・福山市西町)に生まれる。1931年(昭和6年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1938年(昭和13年)に東京商科大学(現・一橋大学)を卒業[1]。
三洋証券社長の土屋陽三郎、新日本証券社長の鷹尾寛、東京銀行頭取の横山宗一、鹿島建設副会長の原明太郎、マツダ会長の岩沢正二、丸井今井社長の今井道雄、三井不動産社長の坪井東、一橋大学学長の小泉明らとともに大学の同期会を結成[2]。
大学卒業後日本製網株式会社(現・日東製網)に入社[1]。1942年(昭和17年)9月、日本製網造機福山工場長に就任。1944年(昭和19年)7月、福山製機と合併し社名変更した日本造機製網の社長に就任。1948年(昭和23年)11月、日本造機製網はふしなし魚網を吸収合併、社名を日本製網に変更[3]。
1950年(昭和25年)6月4日に行われた第2回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し初当選した。参議院では院内会派である緑風会に所属した。1956年(昭和31年)の第4回参院選で落選。
1962年(昭和37年)2月、広島テレビ放送の取締役に就任。1966年(昭和41年)11月から1991年(平成3年)11月まで福山商工会議所会頭を務めた[1][4]。
広島大学水畜産学部が福山市から撤収することが決まると、4年制大学の設立に奔走。1975年(昭和50年)1月に福山大学ならびに学校法人福山大学の設置認可が下り[5]、同大学法人理事に就任[1]。
1997年(平成9年)8月、日東製網代表取締役会長に就任。
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