宮本知遠
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宮本 知遠(みやもと ちとお、1886年〈明治19年〉8月30日[1] - 1918年〈大正7年〉12月4日[2])は、日本の政治家。東京府北豊島郡板橋町長[3][4][5]。
経歴
東京府・宮本頼三の長男[6]。高等師範学校附属小学、中学を経て[1]明治大学商科に学ぶ[6]。水車業[7][注 1]、精米業[9]を営む。
1911年、推されて板橋町収入役に挙げられる[1][6]。1911年10月に板橋町長に就任し、1916年4月に退職する[6]。1917年8月に板橋町長に就任し、1918年12月に退職する[6][10]。
人物
家族・親族
- 宮本家
- 父・頼三(1843年 - 1905年、東京府会議員[6]、東京府茶業組合長[11]、旧加賀藩士、学務委員[12]) - 石川県石川郡松任町(現・白山市)、信誠寺五世順教の三男[11]。住所は東京府北豊島郡板橋町大字下板橋、別邸は神田区淡路町二丁目[13]。
- 妻[6]
- 養子・知遠(1910年 - ?、地主[14][15]、農業[16]) - 東京府人・白澤亀次郎の五男で、1916年に宮本知遠の養子となり、1918年に家督を相続し、前名・義雄を改め襲名する[17]。住所は板橋区板橋[14]。
- 親戚
脚注
参考文献
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