宮下直樹
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来歴
1975年、東海大学男子バレーボール部に入部し、セッター・レシーバーでプレーし、副将も経験する。
1979年に朝日生命男子バレーボール部に入団し、同社バレーボール教室専任講師にも就任。選手としては1986年までセッターでプレーする。女子バレーボール部のコーチ及び監督に就任し、2000年まで務めた。1996年に同社バレーボール教室の校長に就任し、2001年まで務めた。
2001年には、カナダ女子代表コーチに就任。 2006年に監督に昇格し、2008年まで務めた。(コーチ時代は、カナダウィニペグ大学女子バレーボールチーム及び、ウィニペグ大学ジュニアクラブチームメントールコーチも務める)
2008年に武富士バンブーのコーチに就任。2009年の同部の廃部まで務めた。
2009年に再び、カナダウィニペグ大学女子バレーボールチーム及び、ウィニペグ大学ジュニアクラブチームメントールコーチを務める。
2010年6月1日付けで、パイオニアレッドウィングスの監督に就任した[1]。2013年5月をもって健康上の理由により退任[2]。
2016年12月、日本バレーボール協会の女子強化事業本部長に就任[3]。1年後の2017年11月30日、健康上の理由で退任[4]。
2018年1月1日以降、カナダ・アルバータ州立大学女子バレー部(パンダース)アソシエイツコーチを務める。
人物
脚注
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