宗谷海峡(そうやかいきょう)は、北海道の宗谷岬と、帰属未定地:樺太の西能登呂岬(ロシア名:サハリン島・クリリオン岬)との間にある海峡[1]。東西方向の海峡であり、日本海とオホーツク海を結んでいる[1]。海峡幅は最狭部で約42 km。
50 km
オ ホ ー ツ ク 海
日 本 海
ロシア サハリン州
日本 北海道
コルサコフ (大泊)
ユジノサハリンスク (豊原)
稚内
亜庭 (アニワ)湾
海馬島
二丈岩
中知床岬
西能登呂岬
野寒布岬
礼文島
利尻島
礼文水道
利尻水道
宗 谷 海 峡
宗谷岬
宗谷海峡周辺の地理
- 宗谷海峡は日本名であり、国際水路機関が定める国際的な名称は、ラ・ペルーズ海峡(英語:La Pérouse Strait ロシア語: Пролив Лаперуза ラペルザ)[2]である。1787年に欧州人で初めて当海峡を通過したとされるフランス軍人の探検家であるラ・ペルーズの名がその由来である。海峡を望む宗谷岬の丘の上に顕彰碑が建立されている。
- 深さは最深部で60 mほどしかないので、最終氷期には間宮海峡共々陸橋となり、樺太と北海道はユーラシア大陸と地続きであった[3][4]。
- 動物分布の境界線の一つである「八田線」が当海峡を通るとされる。
- 日本海を北上し間宮海峡に至る対馬海流(暖流)の一部が当海峡からオホーツク海側に抜け、北海道沿いに流れる宗谷暖流になっている[1]。このため海流の方向及び水温により、沿岸定着氷や流氷は少ないが、年間数日程度、稚内港方面に押し寄せ、船舶の航行に支障をきたすことがある[5]。
- 日本海側からオホーツク海側へと当海峡内を暖流が流れているため、北方より「やませ」等の冷涼な風の吹く日には夏でも海霧が立ちやすく、船舶内にレーダー等の装備が普及されていなかった頃は当海峡内やその周辺で海難事故が度々発生していた。
- 南樺太が日本領であった時代は鉄道省が稚内より大泊(現:コルサコフ)に至る稚泊連絡船を運航していたが、現在は北海道サハリン航路が同じ区間で国際航路を運航している(ハートランドフェリーは2015年9月19日廃止)。
- 鉄道トンネル(宗谷トンネル)やガスパイプライン(サハリンプロジェクト)等の海底トンネルを当海峡下に貫通させる構想が戦前より存在するが、国際情勢の変化等により未だ建設決定には至っていない。
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十二方面海域を防禦海面に指定(昭和16年12月9日 朝日新聞(夕刊))『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p64 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年