安部信宝
ウィキペディアから
ウィキペディアから
安部 信宝(あんべ のぶたか)は、江戸時代後期の大名。武蔵国岡部藩12代藩主。官位は従五位下・摂津守、河内守。
天保10年(1839年)、11代藩主・安部信古の長男として誕生。天保13年(1842年)12月25日、父・信古が死去したため家督を継いだ。嘉永3年(1850年)3月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁した。嘉永6年(1853年)11月7日、従五位下・摂津守に叙任する。安政5年(1858年)7月12日、河内守に改め、安政6年(1859年)9月11日、摂津守に改めた。
当時の岡部藩では、幕府から罪人と見なされた高島秋帆を預かっていたが、信宝は秋帆を丁重に用いて西洋砲術を学び、藩軍の刷新を図っている。
嘉永7年(1854年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。安政5年(1858年)1月、大坂加番を命じられる。
文久元年(1861年)8月、和宮の江戸下向の警護を務める。文久3年(1863年)1月に二条城定番に任じられるが、4月10日に死去した。享年25。跡を養子の信発が継いだ。
父母
正室
養子、養女
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.