安倍氏主
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経歴
淳和朝では皇太子・正良親王(のち仁明天皇)の春宮帯刀舎人を務める。
承和11年(844年)従五位下に叙爵し、翌承和12年(845年)遠江守に任ぜられるが、のちに官使に罪を問われて解任される。三河守を務めていた嘉祥2年(849年)には、仁明天皇が40歳になったのを祝賀するために、白馬40匹・牛40頭・支子40斛を朝廷に献上している[1]。文徳朝の仁寿3年(853年)再び三河守に任ぜられ、任期満了後の天安元年(857年)三河守に三度再任されるなど、専ら東海地方の地方官を歴任した。
天安2年(858年)6月15日卒去。享年65。最終官位は三河守従五位下。
人物
若い頃から仁義を重んじる性格で博徒と交流を持った。騎射に非常に優れ、身軽で敏捷な様子はまるで飛ぶが如くであった。夜に盗賊を追捕し胸を負傷して戻っても、翌日には再び山々で盗賊の捜索を行ったという[2]。
官歴
『六国史』による。
系譜
脚注
参考文献
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