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サルトルの著作 ウィキペディアから
『存在と無―現象学的存在論の試み 』(原題: L'Être et le néant: Essai d'ontologie phénoménologique、英題: Being and Nothingness: An Essay on Phenomenological Ontology)は、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の哲学的主著であり、20世紀に一躍、実存主義ブームを巻き起こした著作としても有名である。
カバー | |
著者 | ジャン=ポール・サルトル |
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原題 | L'Être et le néant |
国 | フランス国 |
言語 | フランス国 |
題材 | オントロジー |
出版社 | ガリマール出版社、哲学図書館 |
出版日 | 1943年 |
英語版出版日 | 1956年 |
ページ数 | 638 (ガリマール出版社版) |
ISBN | 0-415-04029-9 (ラウトレッジ版) |
1943年10月、ドイツ軍占領中のフランスにおいて『存在と無』はひっそりと刊行された。サルトルは当時三十八歳、パリの一高校教師に過ぎなかったが、『存在と無』はたちまちにフランス全土に大きな衝撃を与え、哲学界や唯物論などあらゆる方面から論評された。哲学書としては異例の部数を売り上げ、現在も版数を重ねている。
『存在と無』は副題からも分かるようにどこまでも現象学的な立場から、存在の問題に立ち向かった試みである。一般に実存哲学は存在について分析すると逆説に陥り整合性に欠けてしまう場合が少なくないが、『存在と無』はそういった逆説に陥ることもなく、ほとんど数学的な厳密性をもつ論理を有している。[独自研究?]
内容は、現象学的立場と存在論について記述された『緒論』と、意識の志向性、無化作用と無について記述された『第一部 無の問題』、対自存在と即自存在について記述された『第二部 対自存在』、他者のまなざしと自分の意識について記述された『第三部 対他存在』、一切の行動は「持つ」「為す」「ある」に集約されるとして、それを基に実存的精神分析を記述した『第四部 「持つ」「為す」「ある」』の四部構成になっている。
「あるところのもの」である即自存在に対して「あるところのものでなく、あらぬところのものである」対自存在としての人間的現実は、否定性、無化作用、脱自構造であり、その意識は自由であることを余儀なくされる、即ち「人間は自由の刑に処せられている」。この無化作用的自由は人間を不安にさせる、そこから自らの自由を自分自身に隠す「自己欺瞞」が生じる。一方対他関係は対自の自由が必然的に他者を客体化(まなざし)してしまうので相克的関係に留まる。しかし対自は、自由であるため、選択によって自分自身を構築してゆくため、自己のあり方に責任がある。非人間的、物質的「即自」と他者との相克関係の狭間で人間の生は「無意味な受難」と結論付けられる。
本書の『結論』において、サルトルはモラル論を次作として著することを約束するが、しかしこのモラル論はついに完成することはなかった。ただし遺稿として『倫理学ノート』(未訳)が遺されている。
70年代のサルトル忘却と共に『存在と無』も同じく忘れられていたが、近年ベルナール=アンリ・レヴィをはじめとして『存在と無』を再評価する風潮が高まっている。[要出典]
本書は二〇世紀フランス現象学の古典にして、その後のさまざまな現代思想の源流でもある。極論すれば、エマニュエル・レヴィナスの他者の倫理学も、モーリス・メルロー=ポンティの両義性の現象学やミシェル・アンリの生の現象学も、さらにはジル・ドゥルーズの差異と反復の哲学やジャック・デリダの脱構築の思想も、本書からの触発なしにはあり得なかったかも知れない。[要出典]
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