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鎌倉時代後期から室町時代初期(南北朝時代)の皇族、歌人。後宇多天皇の第一皇女。伊勢斎宮、のち皇后(尊称皇后)、女院。 ウィキペディアから
奨子内親王(しょうし(まさこ)ないしんのう、1286年9月28日〈弘安9年9月9日〉- 1348年11月23日〈正平3年11月2日〉)は、鎌倉時代後期から室町時代初期(南北朝時代)にかけての皇族、歌人。後宇多天皇第1皇女。生母は参議五辻忠継の娘、典侍忠子(談天門院)。後醍醐天皇は同母弟にあたる。伊勢斎宮、のち皇后(尊称皇后)、女院。院号は達智門院(たっちもんいん)。
乾元元年(1302年)、内親王宣下。徳治元年12月22日(1307年1月26日)、21歳で異母兄後二条天皇の斎宮に卜定される。同2年9月13日(1307年10月10日)、諸司へ初斎院入り、同月27日(10月24日)野宮へ移る。同3年8月25日(1308年9月10日)、後二条天皇崩御のため、群行には至らず退下した。
その後、文保2年2月26日(1318年3月29日)に同母弟の後醍醐天皇が即位すると、翌文保3年3月27日(1319年4月18日)に皇后(非妻后の皇后)に冊立される。同年11月15日(12月27日)、達智門院の院号宣下を受けるが、同時期に母談天門院が没したため、まもなく出家して法号を真理覚と称した。元亨3年(1323年)には、紀伊国和佐荘の田地1町を荘内の高社(現和歌山県和歌山市の高積神社)に寄進している。正平3年(1348年)、63歳で崩御。
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