大鳥神社 (甲賀市)
滋賀県甲賀市にある神社 ウィキペディアから
滋賀県甲賀市にある神社 ウィキペディアから
平安時代の元慶6年(882年)、伊賀国阿拝郡河合郷篠山嶽より大原中に勧請されるが、その後現在地に遷座する。その際、神宮寺として天台宗の大原山河合寺も創建される。両者は神仏習合の下で一体化し、河合寺には竜泉院・善寿院・願成院・祐善院・覚寿院など子院が36院もあり、栄えた。鎌倉時代から室町時代にかけては近江守護六角氏の崇敬が厚く、社名も河合社・河合祇園社・大原祇園社・牛頭大明神・牛頭天王社などと呼ばれるようになった。
文禄4年(1595年)には豊臣秀吉によって花奪神事にお墨付きを受ける。江戸時代の元禄2年(1689年)には将軍徳川綱吉の生母桂昌院より永世山年貢5石8斗を修繕料として寄進された。1868年(明治元年)の神仏分離によって河合寺と分離され、河合寺は弥勒如来坐像などを櫟野寺に移して廃寺となった。そして令達により旧大原荘の大の字と鳥居野の鳥の字を合わせて当社の名称は「大鳥神社」と改められた。そのため、いわゆる大鳥信仰の神社とは関係がない。
1876年(明治9年)10月に村社、1885年(明治18年)2月に郷社に昇格。1908年(明治41年)4月に神饌幣帛料供進社に指定された。さらに、旧大原村九地区に祀られていた神々は1912年(大正元年)に境内社に合祀される。1916年(大正5年)4月、本殿のみを残して拝殿の一部、楼門、回廊、神楽殿、社務所、旧河合寺堂舎等を焼失するが、1920年(大正9年)に復興する。
以下の社殿は1915年(大正4年)火災で焼失した後、1919年(大正8年)に再建されたもの。2002年(平成14年)6月25日、登録有形文化財(建造物)に登録された。
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