大野 芳(おおの かおる、1941年8月10日 - 2022年5月5日)は、日本のノンフィクション作家。かっぱ村村長。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2024年7月) ヴィオラ奏者の「大野かおる」あるいは「大野かおる (物理学者)」とは別人です。 経歴 1975年、岩手県遠野市でかっぱ伝承に触れ、中河与一を村長としてかっぱ村を設立した[1]。中河の没後は2代目村長となった[1]。 著書 『0への回帰』(金剛出版、1971年) 『神風特別攻撃隊「ゼロ号」の男 追跡ドキュメント消された戦史 「最初の特攻」が“正史"から抹殺された謎を追う』(サンケイ出版、1980年) 『神風特攻隊「ゼロ号」の男 戦史から抹殺された“最初の特攻"』(1985年/光人社NF文庫、1995年) 『ママぼくをまた生んでね 小児がんの記録』(潮出版社、1981年/潮文庫、1984年) 『がん宣告・ぼく死にたない!』(時事通信社、1981年) 『北針』(潮出版社、1982年/潮文庫、1985年) 『さいごのVサイン 小児ガン宣告』(ポプラ社、1983年) 『オリンポスの使徒 「バロン西」伝説はなぜ生れたか』(文藝春秋社、1984年) 『羅府に斃る 亜米利加を愛した男の物語』(潮出版社、1984年) 『1984年の特攻機』(朝日新聞社、1984年) 『絶望からの生還 がんに克った120人の記録』(講談社、1985年) 『奇蹟のがん療法 あきらめる前に読んでほしい,注目の「佐藤療法」初の徹底紹介!』(角川書店、1985年) 『ふぞろいの夏 帝国女子医専学徒たちの銃後』(光人社、1986年) 『夕日の楽園ビッグ・サー カリフォルニアの老いのすみか』(筑摩書房、1987年) 『セカンド・ベスト 新しい老後の設計』(朝日新聞社、1987年) 『もう投げられへんって、ベェーや がん宣告と闘った野球少年の250日』(講談社文庫、1987年) 『ハンガリア舞曲をもう一度』(講談社、1989年) 『がん生還者の記録』(講談社文庫、1989年) 『コロンブス』(第三文明社、1989年) 『葬送曲』(講談社、1991年) 『宮中某重大事件』(講談社、1993年)のち学研M文庫 『戦艦大和転針ス』(新潮社、1993年) 『白狐 岡倉天心・愛の彷徨』(講談社、1994年) 『山本五十六自決セリ』(新潮社、1996年) 『遺書になった手紙 バスクから神戸の貴女へ』(光人社、1997年) 『絶海密室』(新潮社、1998年) 『瀕死の白鳥 亡命者エリアナ・パブロバの生涯』(新潮社、1999年) 『河童よ、きみは誰なのだ かっぱ村村長のフィールドノート』(中公新書、2000年) 『革命 長編ノンフィクション・ノベル』(祥伝社、2001年) 『伊藤博文暗殺事件 闇に葬られた真犯人』(新潮社、2003年) 『近衛秀麿 日本のオーケストラをつくった男』(講談社、2006年) 『教育改革 努力は実る』(講談社、2006年) 『ニッポン神社紀行 いま神さまがおもしろい』(講談社、2007年) 『死にざまに見る昭和史 八人の凛然たる〈最期〉』(平凡社新書、2010年) 『努力は実る!驚異の北予備メソッド』(講談社、2011年) 『8月17日、ソ連軍上陸す 最果ての要衝・占守島攻防記』(新潮社、2008年/新潮文庫、2010年) 『特務艦「宗谷」の昭和史』(新潮社、2009年)のち文庫 『天皇の暗号』(明治維新140年の玉手箱)、学習研究社、2011年 『無念なり 近衛文麿の闘い』平凡社、2014年 訳書 マヌエル・F・セグーラ『タブナン もう一つの太平洋戦争 米比ゲリラ軍vs日本軍の死闘』(光人社、1988年) 脚注 [1]“ひと:大野芳さん=発足45年を迎えた「かっぱ村」村長”. 毎日新聞. 2022年2月26日閲覧。 参考 この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。『文藝年鑑』2010年[要ページ番号] この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。表示編集Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.