大興寺 (三豊市)
香川県三豊市にある寺院、四国八十八箇所霊場の第六十七番札所 ウィキペディアから
香川県三豊市にある寺院、四国八十八箇所霊場の第六十七番札所 ウィキペディアから
大興寺(だいこうじ)は、香川県三豊市にある真言宗善通寺派の寺院。小松尾山(こまつおざん)、不動光院(ふどうこういん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第六十七番札所。
大興寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 香川県三豊市山本町辻字小松尾4209番地 |
位置 | 北緯34度6分7.9秒 東経133度43分9秒 |
山号 | 小松尾山 |
院号 | 不動光院 |
宗派 | 真言宗善通寺派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | (伝)弘仁13年(822年) |
開基 | (伝)空海(弘法大師) |
正式名 | 小松尾山 不動光院 大興寺 泉上坊 |
札所等 | 四国八十八箇所67番 |
文化財 | 木造金剛力士像(県文化財) |
公式サイト | 小松尾山 不動光院 大興寺 |
法人番号 | 2470005004063 |
寺伝によれば、天平14年(742年)に東大寺の末寺として建立された。その後、最澄の影響で天台宗となる。火災により焼失していた諸堂を、嵯峨天皇の勅願によって空海(弘法大師)が弘仁13年(822年)に熊野三所権現を鎮護する霊場として再興し、また、本尊に薬師如来と脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで堂宇を建立し安置したという。その後も東大寺の末寺として真言宗24坊、天台宗12坊の僧堂が連ね、空海と最澄の教えを修行する道場として栄えた。
寺の説明では、天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって本堂以外を焼失したとあるが諸記録では1596年に大破(理由は未記載)したとあり長曾我部元親は関係ないと思われる。慶長2年(1597年)に南東約1 kmの現在地である小松尾の末坊(泉上坊や乗林坊)があった所に移転し仮本堂が建てられ、寛文9年(1669年)に本堂が建立されたものの再び焼失、現在の本堂は寛保元年(1741年)に再建された[1]。 なお、境内南側の熊野三所権現は明治の神仏分離までは当寺住職が別当を兼ねていた。また、昭和の末までは地元でもっぱら、地名から小松尾寺と呼ばれていたが、現在は正式名の大興寺に統一されている。
小さい川をわたり仁王門をくぐると石段があり、94段上り詰めると右に鐘楼左に手水舎、正面に本堂、本堂の左奥に弘法大師堂、右奥に天台大師堂がある。本堂の向って左側が納経所になっている。なお、本堂の裏側からなら階段を登らずに本堂に至ることができるが、納経をお願いすると仁王門から入り直しなさいと断られる。熊野三所権現は、境内の東側に一段高くなっていて祀られている。
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