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大応寺 (京都市)

京都府京都市にある寺院 ウィキペディアから

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大応寺(だいおうじ)は、京都市上京区にある臨済宗相国寺派の寺院である。以前は日蓮宗であった。山号を金剛山と号する。現在の本尊釈迦如来

概要 大応寺, 所在地 ...

歴史

天正14年(1586年)、妙満寺・日重上人の弟子・虚応円耳(1559年-1619年)が法華(日蓮)宗の教えを広めるため、嵯峨天皇の后の橘嘉智子(檀林寺を創建したことから檀林皇后とも言われた)が九世紀初頭に建てた悲田院跡に建立した。悲田院とは、聖徳太子が病人や貧窮者、孤児や身寄りのない老人を収容する施設を造ったのが起源であり、後の正保3年(1646年)、永井直清泉涌寺の山内に移してその塔頭となっている。

開山の虚応円耳は慶長8年(1603年)、西隣りに興正寺(興聖寺)を建てて移っている。その後、天明8年(1788年)の天明の大火によって焼失したが、文化5年(1808年)以後に現在の堂宇が再建された。

境内の後花園天皇の火葬塚の北に織部稲荷社(織部稲荷大明神)がある。当寺の鎮守社で、茶人古田織部伏見稲荷から勧請したものといわれ、扁額には「織部吒枳尼天」と書かれている。しかし実際は、当寺と織部との関係を示す記録は一切なく、西向かいの興聖寺に、江戸時代中期に豊後岡藩家老・古田家が織部とその子らの墓を作った時に建てられた物である。

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参考文献

  • 「続日本高僧伝 巻第三」『大日本仏教全書 第104冊』、名著普及会、1979

外部参考リンク

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