大崎下島(おおさきしもじま)は、瀬戸内海の中部にある下大崎群島の島である。大長みかん・大長レモンといった果樹(柑橘)栽培や漁業が盛ん。
瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島の一角にある有人島。大崎下島を中心に下大崎群島を形成している。周辺は島々が概ね東西に連なっており、安芸灘諸島と呼ばれることもある。西には豊島が控える。東は平羅島、中ノ島、愛媛県側の岡村島と並ぶ。北には大崎上島が、南には斎灘(安芸灘と呼ばれることもある)が広がる。属島として、岡村島との間の平羅島、中ノ島、小島、北の三角島(有人)、鍋島、南沖合に斎島がある。
標高200m付近まで果樹園が形成されている。ただし、島の南側は傾斜があり、断崖海岸が続く。
- 山 一峰寺山(いっぽうじさん。島の最高峰)、灯明山、桂峰
地域・集落
- 山がそのまま島になったような地形から、集落は海岸部に集中している。人家が密集した集落が形成されているのは、東から反時計回りに、御手洗、大長、久比、立花、大浜、沖友である。沖友のみ南岸に立地している。島の南の沖友と北の久比との間には山腹を貫く「大崎下島トンネルが開設されている。
- 住所表記としては、住所表示は「豊浜町」「豊町」を引き継いでいる。具体的には、旧・豊町の地域は呉市に続けて「豊町」を、旧・豊浜町の地域は同じく「豊浜町」を付ける。(例)呉市豊町久比 呉市豊浜町大浜
- それぞれの郵便番号は次のとおり。
- 〒734-0301 呉市豊町大長(ユタカマチオオチョウ)
- 〒734-0303 呉市豊町沖友(ユタカマチオキトモ)
- 〒734-0304 呉市豊町久比(ユタカマチクビ)
- 〒734-0302 呉市豊町御手洗(ユタカマチミタライ)
- 〒734-0103 呉市豊浜町斎島(トヨハマチョウイツキシマ)
- 〒734-0102 呉市豊浜町大浜(トヨハマチョウオオハマ)
- 〒734-0101 呉市豊浜町豊島(トヨハマチョウトヨシマ)[1]
- ※「チョウ」と「マチ」が混在しているが、編入合併前の「町」の読みを踏襲したもの。
- 戦国時代までは下島と呼ばれ、大山祇神社の寺社領であった。また伊予国に属していた。
- 江戸時代以降、御手洗は潮待ち・風待ちの港町として賑わった。
- 1863年(文久3年)の八月十八日の政変で失脚し京都を追放された七卿のうち五卿は、長州に逃れる途中、この島に立ち寄っている。その時立ち寄ったとされる屋敷が御手洗地区に七卿落遺跡として広島県指定の史跡になっている。
- 1917年(大正6年) 大崎電灯が設立され全島で電灯ともる[3]。
- 大長地区では近隣の島へミカンの出作を行う為、農船と呼ばれる小型船を使用していた。最盛期は大長の船溜りには400艘を超える農船がひしめいていたが、架橋の進展などにより次第に使用されなくなり、現在では大幅に減少している。
港湾
(南西から時計まわりに)
- 大浜港
- 立花港
- 久比(くび)港
- 小長(おちょう)港
- 大長(おおちょう)港
- 御手洗港
航路
- 高速船
- ※ 御手洗地区 寄港便もある。「めばる」から「明石」までが「大崎上島」
- フェリー
- ※2022年12月に2023年5月末での廃止届を提出していたが、2023年3月に廃止撤回の方針が示された[4][5]。
- 御手洗には現在も江戸後期から昭和初期の建物が数多く残り、突堤、雁木などの港湾施設も良好に保存されていることから1994年に「豊町御手洗伝統的建造物群保存地区」の名称で重要伝統的建造物群保存地区として選定された(全国で38番目の選定)。
- 日本遺産 として 「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間」の構成自治体に認定される[7]
豊浜町は西隣の豊島も合わせた一つの自治体(町)であった。役場は豊島側に置かれていた。なお、旧・豊浜町域には斎島も含む。
- ウィキメディア・コモンズには、大崎下島に関するカテゴリがあります。
- ウィキメディア・コモンズには、御手洗に関するカテゴリがあります。
- ウィキメディア・コモンズには、大長に関するカテゴリがあります。
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