大塚達宣
日本のバレーボール選手 ウィキペディアから
来歴
要約
視点
大阪府枚方市出身。小学3年生の頃、何かスポーツをしたいと思った時に、地元のVリーグ強豪・パナソニックパンサーズの下部組織「パンサーズジュニア」の存在を知り、入会してバレーボールを始める。中学までパンサーズジュニアで活動した[1][2]。
2016年、洛南高等学校に進学。全日本バレーボール高等学校選手権大会では2学年時の準優勝、3学年時の優勝に貢献した。
2019年、早稲田大学スポーツ科学部に進学。早稲田大学でも全日本インカレの優勝に貢献。
2020年、大学2年の年に日本代表に選出された[3]。しかし、この年度は、新型コロナウイルス感染症の流行の影響でオリンピックをはじめとする国際大会が中止・延期となった。
2021年、大学3年の年にも日本代表に選出され、ネーションズリーグに出場した[4][5]。ネーションズリーグでは本来のポジションではないオポジットもこなし、プレーの幅を広げる手応えもつかんだ[1]。
そして、2020年東京オリンピックの最終メンバーに選出された[6]。選出されたことについて、「選ばれなかった選手たちの分まで戦わないといけないと思いました」と責任を感じたコメントをした。オリンピックでは出番がイタリア戦の途中出場1試合のみだったが、「ここで終わりじゃない。パリ五輪に向けてもう一度頑張ろう」と思えたという[1]。その後のアジア選手権にも出場した[7]。
2022年1月6日、パナソニックパンサーズは大塚の入団を発表した[8]。パナソニックを選んだ理由は、地元のチームでパンサーズジュニア出身であることよりも、監督のロラン・ティリや、ミハウ・クビアク、清水邦広、永野健など秀逸な人材が揃っていて学べることが多そうだと思ったのが大きいという[9]。入団当初、パナソニックは8勝6敗であり、ファイナルステージ進出は厳しい状況であったが、入団して間もない頃から試合に出場するようになり、6度もVOM(Vリーグ試合のMVP)に選出される活躍で、チームのファイナルステージ進出に貢献した。特に、追い込まれたところでの前シーズン覇者・サントリーサンバーズとの2連戦での連勝に貢献したとき、2試合目の後、サントリー監督の山村宏太は大塚について「本当に彼にやられた。ディフェンス、ブロック、アタックなど、すべての面でこれからが楽しみ。若くしてチームの中心になれる選手」と評した[10]。ファイナル進出はかなわなかったが、最優秀新人賞を受賞した[11]。
2022年4月、V1終了をもって一度パナソニックを退団し早稲田大学に戻った[12]。日本代表でも活躍し、ネーションズリーグと世界選手権に出場した[13][14]。2022-23シーズン、パナソニックに内定。全日本インカレが終わるまで早稲田大学でプレーし、2023年1月からV1男子にパナソニックの選手として出場[15]。V1男子でベスト6を受賞した[16]。
2024年5月、8月末にパナソニックを退団し、イタリア・セリエAのパワーバレー・ミラノへ入団することが発表された[17]。
人物
- 山村宏太から自身らの世代の人材が高く評価されていることをとても嬉しく思っていて、パナソニックパンサーズに入団して山村が監督を務めるサントリーサンバーズと戦った後、目を潤ませながら山村に「ありがとうございました。楽しかったです」と挨拶したという[9]。
球歴
所属チーム
- 洛南高等学校 (2016-2019年)
- 早稲田大学 (2019-2023年)
- パナソニックパンサーズ (2022年1月-2022年4月)
- パナソニックパンサーズ (2023-2024年)
パワーバレー・ミラノ(2024年-)
受賞歴
- 2022年 - 2021-22 V.LEAGUE DIVISION1 MEN 最優秀新人賞
- 2023年 - 2022-23 V.LEAGUE DIVISION1 MEN ベスト6
脚注
外部リンク
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