大垣市墨俣歴史資料館(おおがきしすのまたれきししりょうかん)は、岐阜県大垣市にある博物館である。
概要 大垣市墨俣歴史資料館, 施設情報 ...
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正式名は墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)。単に墨俣一夜城とも称する。
- 大垣市墨俣地区の歴史、墨俣城に関する資料などを展示する施設である。1991年(平成3年)4月6日に安八郡墨俣町の墨俣一夜城(墨俣町歴史資料館)として開館。2006年(平成18年)3月27日に墨俣町が大垣市に編入されたことにより墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)に改称する。
- 建物は大垣城天守閣(1959年(昭和34年)に外観復元して再建)を模した鉄筋コンクリート造4層6階建[注釈 1]である。敷地面積は1099.07m2。建築面積は184.285m2、延床面積は574.29m2[2]、高さ23.0m[3]。屋根には大蔵省造幣局製作の金のシャチホコがのせられている。墨俣城跡地と思われる場所にあるが、実際に存在したと言われている墨俣城とは全く異なる外観である。
墨俣城(墨俣一夜城)の建設計画はは戦前や昭和40年代にも計画されたが、実現されなかった。
- 1989年(平成元年)10月24日 - 建設が決定する。建設資金はふるさと創生事業を元にふるさと創生基金を新設。これを基にすることになる。
- 1991年(平成3年)
- 2月8日 - 大蔵省造幣局から金のシャチホコが墨俣町に引き渡される。
- 2月16日 - 金のシャチホコが屋根に取り付けられる。
- 4月6日 - 墨俣一夜城(墨俣町歴史資料館)として開館。初代名誉城主は竹下登。
- 1994年(平成6年)3月27日 - 犀川に太閤出世橋(人道橋)が完成。
- 2002年(平成14年)3月23日 - 玄関ホールの純金製ミニチュアシャチホコが盗まれる。その後2代目のミニチュアシャチホコが製作される。
- 2004年(平成16年)10月27日 - 内部改装が完成する。
- 2006年(平成18年)
- 3月27日 - 墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)に改称する。
- 10月23日 - 純金製ミニチュアシャチホコの一部分が盗まれる。
- 2017年(平成29年)4月13日 - 純金製ミニチュアシャチホコが入ったガラスケースにひびが入る盗難未遂事件が発生する。
- 1階
- 美濃路墨俣宿
- 輪中
- 2階
- 豊田穣関連[注釈 2][8]
- 武功夜話関連
- 豊臣秀吉関連(墨俣城築城から稲葉山城攻め)
- 3階
- 豊臣秀吉関連(墨俣築城後から天下統一までの戦い)
- 4階
- 5階
- 所在地:岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
- 開館時間:9:30 - 17:00
- 休館日:火曜日(その日が祝日の場合、その翌日)、祝日の翌日(その日が日曜日または火曜日の場合、その翌日。その日が月曜日または土曜日にの場合、その翌々日)、年末年始(12月29日 - 1月3日)
- 入館料:
- 一般200円(団体20人以上は150円)。
- 以下の場合は無料
- 18歳未満
- 大垣市内在住65歳以上
- 身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の所持者並びに当該所持者の介護者
“第8章文化振興” (PDF). 大垣市教育情報ネットワークシステム. 2022年1月23日閲覧。
墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)パンフレット(大垣市)
“豊田穣”. 岐阜県図書館. 2022年1月23日閲覧。
6階建ての建物であるが、石垣内(実際の1階)は地下1階として扱われており、館内及びパンフレットでは地下1階地上5階建となっている。
作品中に穂積や墨俣の風景が描かれており、墨俣にゆかりがある。
- 記念誌編集委員会 編『合併記念墨俣百十一年のあゆみ』墨俣町、2006年。