夜明けの門

ウィキペディアから

夜明けの門map

夜明けの門(よあけのもん、リトアニア語: Aušros Vartaiポーランド語: Ostra Bramaベラルーシ語: Вострая Брама)は、1503年から1522年にかけてリトアニア大公国の首都ヴィリニュスに作られた、城壁の一部である[1]

Thumb
夜明けの門
Thumb
旧市街地の内側から見た夜明けの門

概要

元々は、ヴィリニュスの南にあるクレヴァ (Krėva) 城(現・ベラルーシ領)およびメディニンカイ (Medininkai) 城に続くであったことから「クレヴァ門」や「メディニンカイ門」と呼ばれていた。「夜明けの門」と呼ばれるようになったのは20世紀になってからのことである。街に9つあった門のうち現存しているのはこの門だけであり[2]、他の8つの門はすべて18世紀末に当局の指示によって壊された。

Thumb
内部のチャペルの様子(1864年)

16世紀、攻撃から街を守り旅行者を祝福することを目的に、宗教的なモニュメントが門の内部に作られることとなった。門の中のチャペルには聖マリアの肖像があり、奇跡を起こすと言われていた[3]。数世紀にわたってこの肖像は街のシンボルの1つであり続け、カトリック教徒と正教徒の双方から崇敬されてきた。神への贈り物が数千個壁に飾られており、海外からも多くの巡礼者が祈りに来る。またミサリトアニア語ポーランド語で行われる。

Thumb
夜明けの門が描かれた10リタス記念金貨

1993年9月4日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が夜明けの門の中にあるチャペルでロザリオの祈りを捧げた。

ギャラリー

出典

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.