壬生綱雄

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壬生 綱雄(みぶ つなたけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将下野宇都宮氏の家臣。壬生氏4代当主。

概要 凡例壬生 綱雄, 時代 ...
 
壬生 綱雄
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正14年(1517年)?
死没 天正4年2月25日1576年3月25日[1][2]
戒名 龍昌院殿恵光芳哲
官位 下総守
主君 宇都宮広綱
氏族 壬生氏
父母 父:壬生綱房
兄弟 綱雄、座禅院昌膳
正室:陽光院殿春窓妙芳
義雄、鶴子(皆川広照室)
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略歴

壬生綱房の子として誕生。本姓小槻氏氏祖・小槻今雄の名から「雄」の字を冠し、綱雄と名乗ったとされる。

父・綱房は主家内での宇都宮氏と芳賀氏の内紛に乗じ、宇都宮城を占領するものの 天文24年(1555年)急死する。

跡を継いだ綱雄は、弘治3年(1557年)宇都宮城を奪還され、壬生氏本拠の鹿沼城に退く。その後、綱雄は後北条氏の勢力拡大を背景に宇都宮氏からの独立を画策する。一方、綱房の弟で叔父・周長は一貫して宇都宮氏への従属姿勢を取って綱雄と対立する。そして天正4年(1576年)、周長と芳賀高定に謀られ、綱雄は鹿沼城内の天満宮にて暗殺された。

なお周長は同年、綱雄の子・義雄に敗北し殺害された。

脚注

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