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日本の中国文学者 ウィキペディアから
増田 渉(ますだ わたる、1903年10月12日 - 1977年3月10日)は、日本の中国文学者。
1903年、島根県八束郡恵曇村(現:松江市鹿島町)で生まれた[1]。旧制松江高等学校(現:島根大学)を経て[2]、東京帝国大学文学部を卒業。
1931年に上海で晩年の魯迅に会い師事。魯迅の家に10ヶ月間通い、魯迅著『中国小説史略』などの講義を直接受けた[3]。帰国後も疑問点について魯迅に手紙で質問し、1935年に『中国小説史略』の日本語完訳版を出版。佐藤春夫と『魯迅選集』を訳・刊行し、本格的に作品紹介を行った。旧制松江高校、大阪市立大学、関西大学教授を務めた。
1977年、盟友竹内好の葬儀で弔辞を述べている最中に倒れ、数日後に後を追うように逝去した。多くの貴重書を集めた蔵書は、関西大学に収蔵された[4]。
生涯にわたり竹内好、武田泰淳、松枝茂夫らと交流した。芥川龍之介、佐藤春夫の影響で中国文学に傾倒(佐藤名義の訳『平妖伝』は下訳もしたと、本人が『中国古典文学大系 平妖伝』月報で経緯を明かしている)。 本人の著作・業績については『中国の八大小説 中国近世小説の世界 増田渉教授還暦記念』(大阪市立大学中国文学研究室編、平凡社, 1965年)に詳しい紹介がある。
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