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日本の数理統計学者 (1912-2005) ウィキペディアから
北海道小樽市生まれ[1]。旧制第一高等学校理科乙類を経て、1937年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業[1]。中央気象台衛生気象係[1]。1939年、東京大学医学部物療内科教室嘱託[1]。1943年「ベクトル量の相関測度について」で理学博士の学位を取得[2]。1944年文部省統計数理研究所第三部兼任所員[1]。1952~1953年インド統計研究所客員教授として[1]、P・C・マハラノビス所長のもとで研究。1965年ノースカロライナ大学統計学部客員[1]、1966年カトリック大学数学科統計研究室教授[1]、1970年~1988年、東京理科大学教授[1]。
戦後日本の推測統計学の分野の確立に努めた[3]。また、社会的問題の解決に統計学的手法を適用し、1971年のサリドマイド訴訟では、原告側の証人として催奇の因果関係があることを統計学的に立証した[3]。
1947年に「標本抽出による推計理論の発展と応用」により朝日賞[4]。1951年には日本科学技術連盟が選定したデミング賞の第1回受賞者となった[5]。映画監督の今村昌平は義弟にあたる。
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