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坪野 米男(つぼの よねお、1920年(大正9年)7月4日[1] – 2008年(平成20年)8月16日[1])は、昭和から平成期の弁護士、政治家。衆議院議員。
大阪府大阪市出身[1][注 1]。第三高等学校を経て[2]、1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部を卒業[2][3]。厚生省に入省し大臣官房属となる[2]。同年7月、高等試験行政科試験に合格[2]。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官[4]。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた[4]。
1948年(昭和23)に退官して[2]、弁護士、税理士を開業[1]。京都市人権擁護委員、国民救援会京都府連副会長を務めた[3]。
1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙に京都府第1区から日本社会党公認で出馬して落選[5]。1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙に出馬して当選し[3][5]、衆議院議員に1期在任した[1][3]。この間、裁判官訴追委員予備員、社会党中央委員、同京都府連委員長、同法務部会長、同憲法問題特別委員会事務局長、同不当弾圧対策特別副委員長などを務めた[3]。その後、第30回から第32回総選挙まで3回連続で立候補したがいずれも次点で落選した[6]。
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