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土居 章平(どい しょうへい、1892年(明治25年)10月6日 - 1978年(昭和53年)11月9日[1])は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。旧姓・八木。
岡山県西西条郡西苫田村上河原(現津山市上河原)出身[1]。八木喜次郎の五男として生まれ、津山市一宮、叔父・土居弥之助の養子となる[2]。津山中学校 [1]、第六高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し山口県属となる[2][3]。
以後、山口県警視、1923年(大正12年)4月奈良県理事官、愛知県理事官、1927年(昭和2年)2月に欧米出張を命ぜられ1929年(昭和4年)1月に帰朝し、山口県学務部長、内務省社会局事務官、同書記官、岐阜県書記官・警察部長、青森県書記官・警察部長、宮崎県書記官・内務部長、福岡県書記官・経済部長、大阪府経済部長兼大阪府工業奨励館長などを歴任[2]。
1938年(昭和13年)4月18日、山梨県知事に就任。満蒙開拓義勇軍の送出が開始された。また、観光事業の振興に尽力[4]。1940年1月、石川県知事に転任。食糧増産、強制貯蓄などを推進した[2]。1941年1月、新潟県知事に転任。政党の解消、地方事務所の開設、新潟縣護國神社造営などに取り組む。1943年7月1日に依願免本官となり退官した[3][5]。その後、商業報国会中央本部長を務めた[1]。
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