カポディモンテ美術館(カポディモンテびじゅつかん、イタリア語: Museo di Capodimonte)は、イタリアのナポリにある美術館である。かつてのファルネーゼ家のコレクションを中心にイタリア・ルネサンスおよびバロック絵画の充実したコレクションを有し、イタリア屈指の美術館となっている。
カポディモンテ美術館 | |
---|---|
施設情報 | |
正式名称 | Museo di Capodimonte |
所在地 | Via Miano, 2, 80131 Napoli |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
プロジェクト:GLAM |
沿革
ブルボン家のカルロ7世(後のカルロス3世)が、母エリザベッタ・ファルネーゼから受け継いだ膨大な美術品コレクションを展示するため、1738年よりカポディモンテ宮殿の建設に着手した。その後、コレクションは増えてゆき、1787年には絵画修復室が作られた。
1799年にパルテノペア共和国が建国され、シチリア王フェルディナンド1世は貴重なコレクションと共にパレルモに逃亡する。その後、フランスに占領されていた1806年から1815年の間にナポリ国立考古学博物館にそのコレクションが移された。
1815年にフェルディナンド1世がナポリに戻ると、王は多くの画家や彫刻家を雇い入れて宮殿の再建に取りかかった。再建は1840年に完成し、近代美術の部門も付け加えられた。1861年にこの宮殿がサヴォイア家の手に渡るとさらにコレクションは増えて行き、火器や武器も加えられた。
第二次世界大戦後、君主制が終わった後の1957年には、カポディモンテ宮殿にナポリ考古学博物館から多くの作品が戻され、現在のような国立美術館となった[1]。
コレクション
ルネサンスおよびバロック絵画には、マサッチオ、マンテーニャ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ラファエロ、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、パルミジャニーノ、エル・グレコ、ジョルジョ・ヴァザーリ、アンニーバレ・カラッチ、カラヴァッジョ、グイド・レーニ、ジョヴァンニ・ランフランコ、アルテミジア・ジェンティレスキ、ルカ・フォルテなどがある[2]。とりわけ充実しているのはファルネーゼ家のコレクションに由来するティツィアーノの作品で、『教皇パウルス3世とその孫たち』、『教皇パウルス3世の肖像』、『アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の肖像』、『悔悛するマグダラのマリア』、『ダナエ』などの重要な作品がある。
ギャラリー
- マソリーノ『聖母被昇天』1428年頃
- アンドレア・マンテーニャ 『フランチェスコ・ゴンザ―ガの肖像』1460年代
- ジョヴァンニ・ベッリーニ『キリストの変容』1487年頃
- ロレンツォ・ロット『ベルナルド・デ・ロッシ司教の肖像』1505年
- ラファエロ・サンティ『アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の肖像』1509年頃
- コレッジョ『聖カタリナの神秘の結婚』1518年頃
- セバスティアーノ・デル・ピオンボ『教皇クレメンス7世』1526年頃
- ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『教皇パウルス3世の肖像』1545-1546年
- ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ダナエ』1545年-1546年
- ソフォニスバ・アングイッソラ『スピネッタに向かう自画像』1559年頃
- エル・グレコ『ジュリオ・クローヴィオの肖像』(1571-1572年)
- エル・グレコ『ロウソクに火を灯す少年』(1571-1572年)
- アンニーバレ・カラッチ『分かれ道のヘラクレス』1596年
- バルトロメオ・スケドーニ『キューピッド』1610-1612年頃
- アルテミジア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユディト』1612年-1613年頃
- グイド・レーニ『アタランテとヒッポメネス』1622年頃
日本にて
2010年に国立西洋美術館などにて「カポディモンテ美術館展」が開催された。
脚注
外部リンク
Wikiwand in your browser!
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.