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ロレンツォ・ロット
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ロレンツォ・ロット(Lorenzo Lotto、1480年頃 - 1556年/1557年[1])はルネサンス期のイタリアの画家。宗教画を残すほか、肖像画家としても活躍した。ヴェネツィア出身。
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略歴
ベルガモ出身の両親のもとヴェネツィアで生まれた。修行時代のことはほとんど知られていないが、その作風からヴェネツィア派の画家、ジョヴァンニ・ベッリーニかアルヴィーゼ・ヴィヴァリーニの工房で学んだと推定されている。1503年にトレヴィーゾに移り、トレヴィーゾの司教、Bernarda de’Rossiの後援を受けた。その後レカナーティのサン・ドメニコ教会の祭壇画を制作した後、1508年から1511年の間はローマで働き、ロンバルディアの画家、ブラマンティーノ(Bramantino)やガウデンツィオ・フェラーリ(Gaudenzio Ferrari)とともにバチカン宮殿のユリウス2世の住居の壁画を描いたがこの作品は、後にラファエロによって別の作品が描かれて残されていない。
その後も、活動場所をしばしば変えていて、アンコーナなどで働いた後、1513年から1525年にベルガモで活動し、1525年からはヴェネツィアに滞在することも多かったが、トレヴィーゾやベルガモ、マルケ地方に旅した。ヴェネツィアの建築家、彫刻家のヤーコポ・サンソヴィーノの友人で、サンソヴィーノはロットを経済的に援助し、顧客を紹介した。1552年にロレートの修道院で暮らし1556年にそこで没した。
祭壇画や優れて肖像画を残したが、没後忘れられた存在となり、再評価されたのは19世紀になってからであった。
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ギャラリー
- 『キリストの変容』(1510-12年) レカナーティ市立絵画美術館
- 『受胎告知』 (1528年) レカナーティ市立絵画美術館
- 『ルクレティアを手本とする女性の肖像』(1530-1533年頃) ナショナル・ギャラリー (ロンドン)
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脚注
参考文献
外部リンク
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