Loading AI tools
ウィキペディアから
国家中山科学研究院(NCSIST、中国語:國家中山科學研究院、ピンイン:Guójiā Zhōngshān Kēxué Yánjiùyuàn、略称:中科院)は中華民国(台湾)で各種兵器システムやデュアルユース技術の開発・製造・販売を行っている研究所。
1969年6月1日、中華民国行政院国防部直属の軍事関連の研究開発およびシステム統合センター「中山科学研究院」として設された。2014年6月に国防部が監督する行政法人「国家中山科学研究院」となった[1]。製品開発、製造、納入、ライフサイクル全体の維持管理、メンテナンスを行っている[2]。米国国防高等研究計画局(DARPA)と比較できる機能を果たしているが、研究開発、統合、製造などの契約を競合・受注する役割も併せ持っている。漢翔航空工業(AIDC)とともに、台湾に2つある主な防衛関連組織の1つと考えられている[3]。
国家中山科学研究院の設立前、台湾には国防産業計画が適切に組織されておらず、中華人民共和国からの軍事的脅威の増大、国際的な支持の低下、国際フォーラムからの排除に直面していた。中華民国は、独立維持と安全保障確保のため、独自の兵器、機器、研究所、試験場を構築する必要があった[4]。1964年春、原子力、ロケット、電子工学の研究を目的として軍営による中山科学研究院の設立が発表される[5]。準備は1965年に始まり、1966年には整地が行われ、1969年に正式に発足した。初期の仕事には、様々なミサイルやレーダーシステム、中華民国軍の航空機や艦船のシステム統合などがある。また、軍の建設にも積極的に取り組んできた[6]。米国が中華民国から中華人民共和国に国交承認を変更した後、台湾当局は米国を信頼できる防衛パートナーと見られなくなったと感じ、さらに研究院の重要性が増した[2]。
1970年代、研究院は9M14 マリュートカの有線誘導式対戦車誘導弾を昆吾(Kun Wu)として複製して生産した[7]。この9M14は中華民国が南ベトナムから入手したものである。設計が古く、軍による対戦車兵器の優先順位は低かった[8]。1970年代半ばまでに研究院は約2,000人の専門家を雇用した[9]。
1970年代後半、緑蜂(Ching Feng)として知られる短距離弾道ミサイルのプロトタイプを作成するプロジェクトに着手した。このプロジェクトは、長距離ミサイル計画に必要な技術を構築するための試験事業という意図があった。Ching Fengは、450kgの弾頭で射程110kmの単段式ミサイルである。1981年に公開されたが、固体ロケットモーターと誘導システムに重大な問題があったため、1982年に生産が中止された[8]。全体的にアメリカのMGM-52 Lanceに似ていた。後続の天馬(Sky Horse)も1981年にアメリカの圧力で破棄されたが、第三次台湾海峡危機後の1990年代に復活した[9]。
1980年代、研究院はハネウェル社と協力して、台湾のギアリング級駆逐艦に搭載されていた旧式のMk.37砲射撃指揮装置に代わる分散型オープンアーキテクチャの戦闘システムを設計した。モジュラーコンバットシステム(MCS)と呼ばれるこのシステムは、世界初の分散型オープンアーキテクチャの戦闘システムであり、簡単に改修可能な商用オフザシェルフ(COTS)コンポーネントを特徴としていた。システムは課題を抱えていたが、一定の仕事をしており、アーキテクチャ、コンピュータ、ソフトウェアはすべて台湾で開発され手頃な価格であった[2]。
1990年代、台湾は国際社会からの武器輸入規制の強化や、独裁主義から民主主義への移行による不安定さに直面していた。このような状況に対応するため、研究開発の範囲を拡大し、垂直統合システムを導入した[4]。1990年代後半には、弾道ミサイル技術を基にした宇宙発射プラットフォームを開発したが、SpaceXなどの米国の民間企業を利用した台湾の衛星打ち上げに補助金を出すという約束と米国の圧力の下で、このプログラムは保留された[9]。
2011年、研究院はMiTACに7,000万台湾元(222万USドル)で「野外運用・防空レーダー車」の試作品を1台製作する契約を締結した。2015年、桃園市の警察はデータ偽造と試験結果捏造の容疑でMiTACの従業員3名とマネージャー1名を拘束した。入札要件として40度の斜面を時速8kmで進行できる車両が求められていたが、MiTACが納入した車両は時速6kmしか出なかった。また、MiTACの従業員と共謀して試験結果を捏造した疑いで、3人の研究院スタッフが拘束され、そのスタッフは捏造した試験結果を上司に提示して承認を求めた。桃園区検察庁は情報入手して捜査を開始した[10]。
2014年、中山科学研究院は国により行政法人化され、秘密とする時期が終わり、海外企業との提携や機器輸出の機会が開かれた[11]。取締役会は2014年4月18日に初会合を開いた[6]。米海軍によるSM-1ミサイルシステムの支援が終了したため、研究院は代替ロケットモーターの生産を含む同システムの支援を引き継いだ[2]。SM-1のMk 13 (ミサイル発射機)についても同様の方法をとった。
2016年、中華民国空軍が保有するMICAとマジック2空対空ミサイルの寿命延長プログラムを実施する1,670万ドルの契約を獲得した。この2つのミサイルは、中華民国空軍のミラージュ2000の武器に使われる[12]。
2017年、12年ぶりにアブダビで開催された国際防衛展に再びNCISTが出展し、39基の兵器を展示した[13]。
2010年代半ば、AIDCと中華民国空軍(ROCAF)と提携し、F-CK-1をベースにした高等ジェット練習機を開発した。AIDCはこのプロジェクトの主契約者であり、研究院が補助的な役割を担っている。最初にXT-5 Blue Magpieと命名され、後にT-5 Brave 勇鷹(Eagle)となった、複座のF-CK-1を基にした飛行機は、非アフターバーナーエンジンを搭載し、燃料容量が増加され、より安定した翼形を持ち、機体内部のバルカン砲を取り除いたものである[14]。2021年に低率初期生産の開始、2023年に量産開始の予定[15]。
台湾初の国産AUVの開発に参加している[16]。2019年、Glorious Star(光榮之星)と名付けられた80トンで長さ28mの高速双胴研究試験船を進水させた。宜蘭県の龍德造船所で建造された同船は、海軍兵器システムの研究開発プロセスを短縮することを目的としている[17]。
2019年、台湾の蔡英文総統は、中国の軍事力と敵意の高まりに対応して、TK-3とHF-3の量産を加速するよう研究院に命じた。ミサイル生産の加速に加えて、総統はまた、研究院の指導者に、彼らの人材プールを構築し、国内外の学術、産業、政府との提携を増やすことに集中するよう命じた[18]。2019年、長距離超音速巡航ミサイル 雲峰(Yun Feng)の量産を開始[19]。
2019年、台湾初の国立無人航空機試験場を苗栗県に開設した。この試験場は、研究院、苗栗県政府、交通部との提携で運営されている。この試験場には20mの滑走路があり、最大150kgまでのUAVの試験が可能である[20]。また、ASUSと合意し、クラウドベースのストレージ、人工知能、IoT技術の共同研究を行っている[21]。
2019年11月に Glorious Star から新しい短距離対艦ミサイルをテストし、それは雄風IIよりも大幅に軽量化されつつも同じ射程を持っていると言われている[22]。
中山科学研究院は蔣介石の命令で冷戦時代に核兵器の開発計画を進めていた。コードネームは「新竹計画」[5][23]。
1967年、中山科学研究院の核能研究所の指導の下、核兵器開発計画が開始された。国際原子力機関が中華民国が兵器級プルトニウムを製造していた証拠を発見したことを受け、政府は1976年9月、米国の圧力を受けて核兵器計画の解体に合意した[5]。原子炉はすぐに停止され、プルトニウムはほとんどが米国に返還されたが、1987年12月に核能研究所の張憲義副所長が米国に亡命し、証拠となる文書を入手したことで、秘密の計画が発覚した[24]。その後、李登輝総統が正式に核開発の中止を命じた[23]。現在、核兵器開発が進められているという話は出ていない[25]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.