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日本の大阪府柏原市の広域地名 ウィキペディアから
柏原市の南東部に位置し、柏原市の前身である中河内郡柏原町と合併する前の南河内郡国分町の東側の地域である。
現在の住所表記では、国分本町、国分西、国分市場、国分東条町(こくぶひがんじょうちょう)、田辺、旭ケ丘の一部の各地域に該当する。
このあたりは古来より難波・河内国府と平城京・飛鳥とを結ぶ官道・古代道路の中継地点として栄えた。そのひとつである「長尾街道」の経由地であり、「竜田越え道」とも交わっている。河内国府からも近く、飛鳥時代後期(7世紀後半)には東条に大きな仏教寺院が建てられ、それが後に河内国分寺として改修されたといわれている。 しかし平安京遷都以降は京と国府を結ぶ道路の経路から外れたことにより寂れ、国分寺もいつしか廃寺となった。しかし国分寺があったことは、現在まで「国分」の地名として残った。国分東条町には河内国分寺塔跡があり、付近には21世紀に再興された河内国分寺がある。
近世以降、大坂との間に「国分舟」と呼ばれる船運が開始されると、現在の国豊橋あたりに船着場が設けられた。その西に町が開かれ、「新町」とよばれた。
近代以前には「国分」「六軒」「田辺」「東条」の四つの集落が存在した。
柏原市の南東部、おおむね大和川の南、原川の東に位置する。地域の北西端付近に平地があり、古来から交通の要所となって町として発展してきた。現在は北の柏原とともに柏原市の中心地のひとつとなっている。
※2008年現在、公共交通機関としてのバスは廃れてしまった。
かつての「国分」「六軒」地域一帯であり、現在の国分地区の中心地。
主な施設、旧跡
かつて「東条」と呼ばれた一帯。
主な施設、旧跡
かつて「田辺」と呼ばれた一帯である。国道165号・近鉄線沿線、原川沿岸付近を除いて丘陵地帯となっている。
田辺地区と旭ケ丘3丁目とは近鉄線で分断され、かつ地形上、自動車の通る踏切・立体交差が設置困難なため、両地区との行き来は不便である。
主な施設、旧跡
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