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呂 叔湘(りょ しゅくしょう、1904年12月24日 - 1998年4月9日)は、中国の言語学者、言語教育家。中国語の現代語文法および歴史文法に関する代表的な研究者。
呂叔湘は1904年、江蘇省鎮江府丹陽県に生まれた。名ははじめ「湘」、のちに「叔湘」。1926年に国立東南大学(現在の南京大学)の外国文学系を卒業し、蘇州中学で英語教師をしていたが、1936年にイギリスに留学し、オックスフォード大学で人類学を、ロンドン大学で図書館学を学んだ。
日中戦争が始まると、留学を途中で切り上げて1938年に帰国し、雲南大学、成都の華西協和大学、成都に疎開していた金陵大学で教えた。戦後は金陵大学が南京に戻ったため、ともに南京に移った。1948年からは上海の開明書店で働いた。
中華人民共和国の成立後は清華大学中文系の教授となった。1952年から中国科学院語言研究所の研究員となり、翌年副所長、1963年から1982年まで所長を務めた。
現代の普通話の規範的な辞典である『現代漢語詞典』は1958年以降に正式な編集をはじめたが、呂叔湘はその編集長だった。のちに主編は丁声樹にかわったが、途中に文化大革命をはさみ、正式版は1978年になってようやく商務印書館から出版された。文化大革命では五七幹部学校に入れられた。1971年に自宅に戻ったが、その後も文革中は沈黙を保った。文革後の1978年から1985年まで『中国語文』の編集長、1980年に中国語言学会が成立すると1985年までその会長を務めた。また『中国大百科全書』の語言文字の巻の主編でもあった。
呂叔湘は1930年代以降中国語文法に関する論文を発表している。啓蒙的な著作も多い。
共著の作品にはほかに『現代漢語語法講話』(商務印書館1961年。1979年に重版)がある。1979年に趙元任の『A Grammar of Spoken Chinese』の部分的な中国語訳を『漢語口語語法』の題で出版している(1980年に香港で丁邦新による完全な翻訳『中国話的文法』が出版された)。
文法関係以外では、自らの丹陽方言を研究した論文がいくつかある。
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