Loading AI tools
日本のプログラムオフィサー、歌人、俳人 ウィキペディアから
吉野 裕之(よしの ひろゆき、1961年8月1日 - )は、日本のプログラムオフィサー、歌人、俳人。堂号は空蝉庵[1]。歌人の髙橋みずほは妻。同じく歌人の髙橋俊人は妻の祖父。植物学者の髙橋成人は妻の父。
神奈川県横浜市根岸生まれ[2]。横浜国立大学教育学部附属横浜小学校、同中学校、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校を経て、九州大学農学部卒業、同大学院農学研究科修士課程修了。大学、大学院では木材化学を専攻。
長谷工総合研究所副主任研究員などを経て、ハウジングアンドコミュニティ財団チーフ・プログラム・オフィサー。この間、住まい・まちづくり活動推進協議会事務局長、住まい・まちづくり担い手支援機構理事などを兼務。NPO、市民活動によるまちづくりの実務と研究を行う。2010年より内閣官房地域活性化伝道師[3]。2020年、都市住宅学会賞論文賞受賞[4]。
短歌を加藤克巳に師事、光栄堯夫に兄事。1986年、「桜狩」に入会(2011年退会)、1988年、「個性」に入会(2004年終刊)。2002年、今井恵子、髙橋みずほとともに、短歌ユニット[BLEND]を始動、雑誌[BLEND]を第10号まで発行(2007年終刊)。1987年、角川短歌賞候補、1990年、1991年、歌壇賞候補。
俳句を今村俊三、岸田稚魚に師事。1985年、「桃滴舎」に入会(1991年終刊)、1986年、「琅玕」(玕:王偏に干)に入会(1991年退会)。1991年、岡井省二、岡本高明の誘いを受け、「槐」創刊に参加。翌年、第1回槐賞受賞。同世代の同門に、山西雅子、加藤かな文、小山森生などがいる。2001年、「槐」退会。
2010年8月、プロデュースした短歌と俳句の同人誌「ことばの楽園」が、2012年11月、同じく俳句の同人誌「豆句集 みつまめ」が創刊される。
法政大学ではコミュニティアートを、フェリス女学院大学では短歌・俳句の創作を、東京家政大学では社会と文化、芸術論を講じている[1]。横浜歌人会代表委員[5]。また、2013年1月より12月まで、砂子屋書房のサイトで「一首鑑賞*日々のクオリア」を連載[6]。
活動のテーマは、「現代と都市とぼくと」における3つの「と」の意味を探ること[7]。また、「短詩型と都市は双子の兄弟ではないか。数年前、ふと、このことに思い至った。いずれも身体の奥に潜んでいたなにかが、時間を可視化しながら形=空間になったものではないか。複数の領域での試みが、自分のなかで統一された」と、語っている[8]。
短歌は現代仮名遣いで、俳句は歴史的仮名遣いで制作している。ライトヴァースとも見えるが、ただライトであるのではなく、一見抵抗感のない若者風の語法の裏側に、近代短歌の核心となってきた〈私〉が確かに存在しており[9]、都市に住む〈私〉の目に映ずる風景を、「すでにあるもの」として描くのではなく、「立ち現れるもの」として微細に描いていく[10]。
また、短歌と俳句の両者の実作者であることを活かし、一連すべての短歌に俳句を詞書とした作品の制作も試みている[11]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.