吉松喬
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吉松 喬(よしまつ たかし、1897年(明治30年)5月25日[1][2] - 1987年(昭和62年)9月17日[1][3])は、大正から昭和期の鉄道官僚、政治家。参議院議員、陸軍司政長官。
福岡県出身[1][3]。吉松民次郎、友子の長男として生まれる[2]。第三高等学校を経て[4]、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し[1][2][3]、鉄道省に入省して直方駅助役に就任[4]。同年11月、高等試験行政科試験に合格した[4]。
以後、大臣官房文書課勤務、大鉄運輸課旅客掛長、大阪運輸事務所長、広鉄庶務課長、運輸局配車課長、鉄道調査部第一課長、札幌鉄道局長、東京鉄道局長などを務め、1943年(昭和18年)2月、陸軍司政長官に発令された[1][2][3]。1945年(昭和20年)に退官した[4]。
1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して当選(補欠、任期3年)し緑風会に所属した[1][3][5]。しかし、同年5月19日、昭和22年勅令第1号に基づき同令第4条の覚書該当者に指定され(公職追放)、同令第3条第2項により同年6月22日に議員資格が消滅した[1][3][6]。
その後、全国自動車運送事業組合連合会長などを務めた[3]。
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