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叶 麗子(かのう れいこ、本名:石田友紀子[1](いしだ ゆきこ)、1963年3月11日 - [1])は、奈良県桜井市生まれ[1]の演歌歌手。
奈良県立榛原高等学校(現・奈良県立榛生昇陽高等学校)卒業後に三越に就職し、3年間OLとして勤務した。その後、盆踊りのカラオケ大会に出場した時の司会者にスカウトされて、叶麗子の芸名で歌手となったが、鳴かず飛ばずで歓楽街のどさ周りを続けるだけの時期が5年間ほど続き生活も困窮を極めていた[2]。1988年に新世界にあった松竹芸能の劇場「新花月」にて初舞台を踏み、観覧動員15人ほどであったが客席から初めておひねりを頂いた[3]。同地で人気が沸騰し、「通天閣の歌姫[4]」の異名を取る。
1990年、徳間ジャパン(現在の徳間ジャパンコミュニケーションズ)よりレコードデビュー。デビュー曲「通天閣人情」は岡千秋の作曲。月亭八方の発案で、同年から頭に通天閣の模型を載せて歌った[5]ことから度々メディアでも取り上げられるようになり、知名度を上げた。通天閣の下にある通天閣囲碁将棋センターにて土日に開催される「通天閣歌謡劇場」には彼女目当ての熱狂的なファンが詰め掛けた。「通天閣歌謡劇場」が閉鎖されるまでは1〜2ヶ月に1回(但し、同劇場は2部構成の為1日2回歌う)程度のペースで同劇場に出演していた。
「通天閣人情」は1年と4ヶ月で公称5万枚を売り上げたとされる[6]。
1996年秋から1997年春に掛けて放送されたNHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」に登場したオーロラ輝子は彼女をモデルにしている。この縁で叶自身も「ダイナマイト玲子」の役名で同ドラマに出演し、また劇中歌「夫婦みち」を持ち歌に加えた。
横山やすしを慕っており、やすしの作詞した「忍」は彼女の心の拠り所となっている。
2005年12月、芸名を「叶麗子」から「叶れい子」へ改名した。「麗の画数が多くて書きにくい」という理由だったが、2010年代には元に戻している[7]。
足に障害を負っていることでいじめにあった経験などから、2000年より歌手活動に並行して人権・福祉をテーマにした講演活動を行っている。
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